腐りきった国民たちへ

今年も3月11日がきた。
もう12年・まだ12年・・・・

でも確信がもてる事がひとつある。

この腐りきった国民の中には、いくらかの割合で「食傷感さえ感じている不届き者も何割もいる」


数万㎞と離れた某国には「連帯」ときれい事を口にしながら、
どこまで離れていても千数百㎞以内にある国内で未だ苦しんで知いる人に対しては「いつまで暗い顔をしている」とでも言いたげな口振り・心づもりでいる者がいるのだと思うと、腹ワタが煮えくり返る思いが湧いてくる。

そりゃ高々3年ほどのコロナ禍にうんざりで「マスクは無駄な対策だとか、医療者への補助金は税金の無駄遣いだ」とか宣い堪え性のないものが、
12年前の出来事を心の中で風化させる○○な者どもが居ても何ら不思議ではない事くらい想像に容易い事だ。

責任はメディアに負うものも一部ある。
被災された方々からすれば、「いくら悔やんでも刻は戻らない」と前向きな言葉や表情で振り返ろうと、それはあくまで表面上であり、やはり心の底では蟠りもあるだろうに。
自ら奮い立たせて画面に明るく振る舞う人々を映し出し演出し、心の奥底の心の傷を見せないよう気丈に振る舞う人々を中心に取り上げれば、ごく当然の成り行きでもあろう。

忘れてはいけないこと、忘れてはいけない気持ち、忘れてはいけない心を覆い隠す事に腐心する。


ましてや政府に至っては「復興税」の一部をまさかの防衛費増額に転用などと宣う始末。
どこまで愚かか。



権力者から国民の一人一人まで
どこまで腐れば気が済むのか。

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