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母と、やさしくなれない私


気が付くと二月。

私は例年同様に、日本にいる。

今年も、いつものようにバタバタしてやってきて、実家に居る今もまだバタバタしている。


現在の母との関係


来るたびに、母と喧嘩。これは通常通り。(涙)

母はまもなく80代。

頭はまあまあそれほどボケてはいないが、記憶は自分の都合の良いように書き換えられがち。。。

「年を取ったんだから、みんなに優しくされたい!されるべき!」と言っている、年老いた乙女な母。

そして普段はひとりでいることが多いため、私が来ると久々に一気に話せるのがうれしいことでもあり、悪いことでもある。

悪い方向に行った時には、自分に都合よく改ざんされたバージョンの記憶で、とにかく私を責める。

今回も、いつものように海外に嫁いだことを今更「また」責められている。

私が至らないと責められることは、別にいい。もう慣れてきた。

でも、私が大事にしている夫を責めたがるのが、本当に辛い。

夫は、私の実家を大事に思ってくれているし、こんな長期間の帰省さえ快く応援してくれている。お土産も常にたくさん持たせてくれる。

なのに母には、「娘を日本から引き離し、無理に外国にとどめている」存在となってしまっているようだ。

ちなみに、妹と別れた元夫に対しても、「娘を操っていた悪者(!?)」という感じに思っているらしい。

(私にいつもぶつけてくるが、なぜか母は妹には直接言わない。)

要は、娘の相手は誰でも憎いのだろう。

思うに、亡くなった父にぶつけられなかった気持ちや、一人になってしまったフラストレーションも、そこに加わっていることは分かっている。

でも、ぶつける先がないからと、私たちにぶつけるのは間違っている。

その点があるから、私の正義感は、母を思い遣れない。

そのため、いつも何かと細かく衝突し、喧嘩になるのだ。

今回も、帰宅してから1週間で何度かものすごく喧嘩をして、私は一人になって何度も泣いた。

「もう帰ってこないでいい。」「もう娘じゃない。」「あなたの夫も、もう来させないで。」「あなたの写真は要らない。」

母が年齢で弱ってきているのは頭では分かっているが、そう言われ続けることはやっぱり結構きつい。

ちなみに、母の思うとおりにならなかった私は、

「あんたなんて、生むんじゃなかった。娘は(妹)だけだ。」

と、子供の頃からよく言われていた。

そういわれた時は辛くて、よく一人で外に出て気持ちを静めたりしていた。(当時の日記にも、かなり書き込んでいた。日記類は結婚時に捨てた。)

でも母自身は「私はそんなひどいことは、あなたに言ったことがない。」と事実を認めない。。。

私は子供のころから、「親も人間」という割り切りがあった。

母にとって、子供のころから私はいつも何でも思ったことを言っていい存在らしい。

小学三年の時の担任から「Mさんは、年齢より早く、考え方が大人になっているようだ。」と家庭訪問で言われていたほどだ。(そりゃあ、母の人生相談をずっと聞いてきたのだ。大人びるはずだ。笑)

私は、早々に「子供らしさ」から卒業するしかなかったのだ。

それさえも、今の母にとっては「そんな、幼い娘に相談なんて、私はしたことがない」とのこと。(ほんとに、私の子供時代を返してほしい。涙)


今回も帰省早々、既に私の家に帰りたくなったが、いつものように1週間ぐらいたって、やっと母が落ち着いてくると急に、母は私がいることがだんだん楽しくなってくる。

毎回、母が上機嫌になってきても、私の中ではやはりくすぶるものがある。


これも、私の選択


正直、帰省しないという選択もある。手間も時間も出費も省けるのだから。

でも、多分来なければやっぱり私が後悔すると思う。

こうして、母の毒出しをしに来れる限り来るしかないのだ。

普段一人で母に付き合っている妹から、頼まれている面もある。

時々泣いて夫に電話して、夫に励まされて、外出して頭を冷やして帰ってきてまた母に向かっている。

「ほーんとに、親不孝の、最低な娘」

そんな私は、来年も多分スーツケース一杯にお土産を詰めて、また帰ってくるんだろうな。

・・・帰ってこれるかな?

私の心と体が完全に折れるまでは、とりあえず頑張る予定。

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