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『地中海世界』フェルナン・ブローデルー海

21世紀の感覚で地中海をみると、見えないことがたくさんある。地中海世界の沿岸をおどおどしながら、それも自然の脅威からかろうじて逃れられる季節を選んで船で移動するしかなかった時代の風景を想像してみる。15世紀末、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を経由してインドに到達し、コロンブスがアメリカまで航海した事実だけを基準に、あの当時の地中海沿岸の漁民たちの心情を推し量ってはいけない(25世紀の人たちが、1961年のガガーリンの宇宙飛行から60年の期間、一般の人にとっても宇宙が近かったと想像するかは見ものだ)。

漁民は農民と同じく、古代からある職業である。しかし、地中海の魚は内陸部、前章で重要とされた山や丘の上の住居地域まで流通することなく、むしろ漁民が副業として農業に従事していた。よって「海の幸」に対する評価は慎重にしないといけない。いずれにせよ、地中海は大陸棚もないため魚の種類もさることながら、量においてはすこぶる限定的だ。大西洋や北海の漁業と比較して、「こぶりな産業」なのである。例外はまぐろだ(現在、サルディニア島の周辺のまぐろの多くは日本の市場に直行している)。

地中海世界における海は、交易のためのネットワークとして主役を演じていたと解釈するのが適切である。(遠洋漁業には向かない)沿岸の港が数珠つなぎのようになっていることこそが、日常世界でのタンジルであれインタンジブルであれ相互のコミュニケーションを促進する土壌となったと考えられる。フィレンツェの葡萄とオリーブ栽培は、シチリア産の小麦との棲み分けが可能なところで成り立った。東方の胡椒や香辛料を地中海ネットワークや最大消費地であるドイツへの仲立ちすることで、ヴェネツィアは繁栄した(そしてドイツはヴェネツィア人から簿記を学び、銀行bankはイタリア語のbancoに由来する)。

こうした「歴史上の主役」としての地中海世界が、地位を低下させていくのが17世紀である。オランダとイギリスが外洋を支配することで、地中海世界のうま味は相対的に低下していくのである。19世紀後半のスエズ運河完成は、この後退に留めを刺したといえる。そして、背景に技術進化の遅れがあったのは否めない。人の力だけが頼りのガレー船にかわって登場した快速・大型帆船が、運搬と戦争の両面で有利な地位を築いたのである(現在も大手の海運会社はオランダや北欧諸国にあるが、地中海沿岸には豪華ヨットの造船所がある)。

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