就職活動ではオタクが強かった
林伸次さんのこの記事を拝読して、ふと思い出したことがある。
有料記事なので詳しい内容はお読みいただきたいのだが、
タイトルの通り「ここ最近ずっとリア充的世界が負け続けて」いて、
人々が憧れる世界観が変化しているよね、ということがとても分かりやすく書かれていた。
そして読後、思い出したのである。
そういえば、就職活動ではオタクといわれる人々が”強者”だったな、と。
なかでも、”コミュ力の高いオタク”は強すぎた。
業界や職種によって違いはあると思うのだが、
なにかひとつのことを深くマニアックに語ることができる学生は、”面白い奴”認定されることが多かったのだろうか、次々と内定をもぎとっていた。
「これを語らせたら右に出る者はいない」と言われる類の学生。
とりわけ、語る分野はマニアックすぎず、ある程度メジャーな対象で、けれど語らせると超マニアック、という絶妙なバランス感覚を携えた学生は最強だった。
バランス感覚を携えているので、他の学生への気遣いもできて、嫌な感じもしない。
グループ面接でこういうオタクと一緒になると、その場から消えたくなった。
そして面接後には、自分の平凡さが恥ずかしくなった。
これまでの人生、そこそこ真面目に生きてきて、大学のGPAだって悪くなく、企業研究だってちゃんとやっていたはずなのに。
いつも隣のオタクに惨敗する。
性格診断テストで◯に近い形を描く人よりも、どこかがピーンと伸びている人の方が有利なのかなあ、なんて自分の”中途半端な優等生ぶり”に辟易した。
もちろん、本当に優秀な学生は、綺麗な◯を描きながらきちんと結果を残していたのだろうが。
就活の期間は大体半年程度。半年で急にオタクになれと言われても無理な話だ。
”コミュ力の高いオタク”と同じ土俵に立っても勝てない。そこで私は、”とにかく引き出しの多い女”になろうと決意した。
苦し紛れにどうにか社会人にはなれたのだが、この”オタクじゃないコンプレックス”には、未だに結構囚われている。
飲み会や会議で熱く語れるものもないし、かといって語れるようになりたいと思う対象もなく、ウダウダしている。
さらに、近年の「なにかに没頭しよう」「熱狂しよう」という風潮も相まって、ますますしんどい。
しんどいから仕方なく、”とにかく引き出しの多い女”を未だに目指してはいるものの、果たして10年後、20年後、30年後、私はどうなっているのだろうか。
やっぱり、今からでもオタクになった方がいいのだろうか。
でも無理やりなれるもんじゃないし、”ビジネスオタク”とか言って妙なマウンティングに巻き込まれたりもしそうだ。
私はどんな人間になりたいんだろうなあ。
ずっと自宅にいる毎日、大して体が疲れておらず眠気がやってこない深夜の布団のなかで、林さんの記事を読みながら、改めて自分という人間を深く掘り下げてみたくなった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?