江原あんず

天狼院書店の講座で勉強していたときのアーカイブ。

江原あんず

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最近の記事

桜の時、今だけがここにある

「メールでのご報告でごめんなさい。離婚することになりました」 冬の寒い朝に届いた、女友達からのメール。私はびっくりし、コーンフレークを食べていた手を滑らせて、スプーンを床に落としてしまった。 うそでしょう……? 飛び散った牛乳のしずくを雑巾で拭きながら、数年前に出た2人の結婚式のことを思い出した。それは、たしか人前式で、生涯の愛を誓う2人を私も見守ったのだ。 詳しいことは書いてなかったけれど、そのメールは「応援してもらったのに、こんな結果となり、ごめんなさい」という言葉で

    • コーヒーの苦味が、おいしくなるとき

      「カプチーノ、ください」 カフェでカプチーノをオーダーするとき、私には、記憶から引っ張り出して思い出してしまう景色がある。それは、地球の反対側のオーストラリアに住む、血の繋がらないおばあちゃん、ジュディと、初めてコーヒーを飲みに行った日のことだ。 今では、自分のどこにそんな勇気が眠っていたのだろう? と不思議に思うけれど、10年前、若くて怖いもの知らずだった私は、1年間、高校生の身分でオーストラリアへ単身留学をしていた。 ジュディは、そのときにホームステイをさせてもらっ

      • バスの中で受けた、人生の授業

        「迷惑になるでしょう! やめなさい!」 ピシッ! からりと晴れた日曜日、浅草へ向かう穏やかなバスの後部座席で、窓から差す光にまどろみそうになりながら、スマホで歯医者の予約をしていると、誰かがひっぱたかれる音がして、私は瞬間的に顔を上げた。 その音は、私の前の2人掛けの座から聞こえたもので、音の先には、長い髪を1つに束ね、黒ぶち眼鏡をかけた化粧っけのない母親が、2歳くらいの小さな女の子をものすごい形相でにらんでいる光景が広がっていた。 いったい、何があったのだろう。日曜だし、外

        • 私がついた、麻酔みたいな嘘

          「ひどい事故を目撃してしまって、授業に遅れるかもしれない」 有給で、いつもより少し遅くまで寝ていたその日、会社携帯が鳴る音で起こされた。相手は、ニュージーランド人の先生、サイモンだった。 当時、私は英会話学校で、ネイティブの英語講師のマネージャーのような仕事をしていた。サイモンはがっちりした体格の、頼れる30代の講師だったのだが、その日はいつになく動揺していて、電話口の声は、小刻みに震えていた。 サイモンの話はこうだった。 同僚のジュリーと2人で、仕事場へむかって歩いてい

        桜の時、今だけがここにある

          女優の卵、なっちゃんが見せてくれた光に導かれて

          「まもなく、開演いたします」 アナウンスが流れた下北沢にある小さな劇場で、私はじんわりと手のひらに汗をかきながら、幕が上がるのを待っていた。なっちゃんが踏む初舞台……、彼女の夢がまた1つ叶っていく瞬間が、あと数秒でやってくると思うと、私まで緊張し、胃がきゅんと痛む。 次の瞬間、会場が真っ暗になり、静けさが広がる。そして、ステージにスポットライトが当たり、キャストたちが登場した。悪役を演じるなっちゃんは、ツルツルの生地をした黒いスーツをきて、青いアイシャドウと濃いリップで決

          女優の卵、なっちゃんが見せてくれた光に導かれて

          キャリア迷子たちへ:蕎麦とミニ天丼セット論

          現在28歳、社会人6年目の私が説く、理想のキャリアは蕎麦とミニ天丼セット論。「仕事で英語が使いたい」「やりたいことってなんだろう」迷っている方たちに、私のちっぽけの経験から見出した仕事観を共有することで、考えを整理するきっかけを少しでも提供できたら嬉しいなと思って書きました。愛する、迷える、後輩たちへ。 *** 留学先で必死になって身につけた「英語を活かした仕事がしたい」という強い気持ちがあった私は、社会人2年目にして、新卒で入ったグローバルを謳うのに、中身は超ドメスティ

          キャリア迷子たちへ:蕎麦とミニ天丼セット論

          失恋はビールの味

          終わった恋は、ビールに似ている。酔っ払わされて、頭がおかしくなっているから、冷静な判断ができず、記憶も曖昧なのだけれど、舌は簡単に、あの苦い味を忘れてくれない。 1月も終わりに近づいていたその日、近所のショッピングモールにあるお寿司屋さんで「失恋ごはん会」は開催された。メンバーは近所に住む、失恋を引きずるカズくんとアサミちゃんとの3人。冬のショッピングモールを彩る青いイルミネーションは、私たちの心に微量の切なさを運んできた。 それでもお寿司屋さんに入ると「らっしゃ

          失恋はビールの味

          月の美しさをわけあえたら

          「今日はスーパームーンだって。帰ったら、月見しない?」 仕事が終わって携帯を見ると、同じシェアハウスに住む友人からラインが来ていた。月見なんて言葉は辞書になさそうな、外資コンサル勤めの住人から届いた、思いがけないラインに、自然と顔がほころぶ。5歳年下の23歳の彼は、よく一緒にご飯を作る仲良しの1人だった。 「月見って、あいつ、かわいいなぁ」 私はそうつぶやいて、うさぎが親指を突き出しているOKスタンプを送り、帰り道を急いだ。 コンビニでビールとおつまみを買い、シェアハウ

          月の美しさをわけあえたら

          本当は完成していたパッチワーク

          「これで、もう本当に終わりだ……」 浮かれる人で溢れる金曜日の恵比寿、私はがっくりと肩を落とし、ふらふらと歩いていた。なかなか手放せなかった恋が、今、目の前で、完全に終わりを告げたのだ。 その夜、私は1年前に別れた元カレと会っていた。当時、結婚したい20代後半と、転職をしたい30代前半のカップルだった私たちは、お互いの方向性がそろわないことが引き金となり、別れを選んだ。 最後は別れてしまったけれど、3年もの時間を共にしたその人と、ふたりで丁寧に作り上げた絆は、まるでパッチワ

          本当は完成していたパッチワーク

          亡き祖母が書き上げた本から学んだこと

          「おばあちゃん、会いたいよ」 携帯画面の中で笑う祖母の顔を、指でそっとなでる。画面は冷たくて、もちろん祖母は黙ったままだ。 祖母が亡くなってから、数年。時が流れても、祖母の肉体が焼かれて小さな骨になってしまったあの日から、ぽっかりと心に空いた穴は、ふさがることがなかった。そして、その穴にぴゅうっと風が吹くたびに、私は祖母に抱きしめられたときの温もりと洗剤の優しい香りを、記憶から引っ張り出しては、そこに顔をうずめて泣いていた。 みんな、どうやって、大切な人の死を乗り越えている

          亡き祖母が書き上げた本から学んだこと

          乗り継ぎ空港のようなシェアハウスでの生活

          私は今、100世帯くらいが入る大型シェアハウスに住んでいる。シェアハウスといっても、もともと社員寮だったところが改装された物件で、各部屋にトイレやお風呂、ミニキッチンなどが備え付けてあるので、ほぼ一人暮らしと変わらない。交流の場として、大きなシステムキッチンやリビング、屋上のスペースがあり、そこで住人たちと自由に交流できる。 シェアハウスは乗り継ぎ空港を彷彿させる。様々な人種が、それぞれのユニークな人生の物語をカバンに詰めて、廊下を歩いている。例えば、同棲を解消してとりあえ

          乗り継ぎ空港のようなシェアハウスでの生活

          手を合わせて「ごちそうさま」が言えたなら

          人との絆は、食事と通ずるところがある。作るのにまあまあな手間がかかるし、美味しくて調子に乗って食べていると、胃もたれで苦しむこともあるし、いずれにせよ、どこかのタイミングで「ごちそうさま」を言わなきゃいけないときがくる。そして、それは栄養に変わって私たちの体に消えていく。 手塩をかけて育てた他人との絆を、できたらずっと握りしめたまま年を取っていきたいけれど、どうやらそれは難しいらしいということを、二十代の大切な人生レッスンの一つとして、私は学んだ。高校時代の親友と、思いがけ

          手を合わせて「ごちそうさま」が言えたなら