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春なのに

Instagramでみんなの桜の写真をみている。
こちらでは2月にはおおかた散ってしまってもう季節はまるで夏のよう。

昨日は最高気温37℃で本当に暑かった。

最近は英語の勉強が停滞気味で、
気分もなにかと落ち込みやすい。

春なのに、全然心ははずまない。
ニューヨークタイムズのPodcastを毎日きいていて
戦争のことばかり、アップデートされてゆく
現地の人の実際の声をきくこともある。
またまた心が沈んでしまう

英語のPodcastをきいてこんな気持ちになるなんて
1年前の自分には出来なかったことだとは思うのだけど
まったく嬉しくはない、よね。

たぶんこういういろいろがあり
普通にInstagramにポストするのもなんだかやる気にならず
まぁそれは全く別の話なんだけど
オットともたまに激しい議論をしてしまうし。
※私たちは喧嘩ではなく100%議論。その方が良いんだけど、なんせ疲れる。


知識のない自分が情けなくなり
第一次世界大戦から、歴史や宗教のこと、人種のこと
勉強し始めたらいかに無知だったのか
さらに情けなくなる、でも知らなきゃ余計に恥ずかしいから気になったときにやる。

周りには沢山勉強し続けている
ph.Dのひとやら、トリリンガルやら、
そんな中
ただ音大を出ただけの私では話はちんぷんかんぷんな時もあり
分かったふりをするのも恥ずかしいし
黙って話を聞いたりして

私は一体どんなフワフワな世界で生きてきたんだろう?と
不思議になる。
やってきたことに後悔はないけど
(いつも◯◯歳の時にもどりたいなーとか全くないくらい一生懸命生きている)
もっと勉強しておけばよかったな。

あーでも
明日も変わらず勉強はする。
今が過去一頭使って知識量は日々アップデートされつづけているなんて、勉強苦手だった頃の自分からしたらすごくない?

こういうことを日記に書いても何も得られないんだけど
とりあえず文章にすることで整理し、
また見返した時に浮上していれば大丈夫。

誰とも比べない、自分でありたい。

誰にも、貯金とか、将来とか、家とか、子どもとか、何にも言われたくない。準備ができたらいうし、言わないということは、そういうことなんだけどな。

見た目のこととかも、同じで人からは言われたくない。
海外に住んでるからって、
日本人は〇〇で、、とか一括りに言う人にはなりたくないんだけど、
多人種が住むこの国だからこそ肌の色とか体型とか身長とか顔のパーツとか、なにもコメントしないという精神が、文化があると知ったらどんな人とも偏見なく関われるのにな。

心の乱れをそのまま書いた、そんな日記ですがごめんなさい。
自分のために必要かもしれないからね。

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