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君の居場所はここではない


02
君の居場所はここではない
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昼頃になるとオフィスから人が消えてゆく。私を君と呼んだ上司も、忙しなく動き回っていた新人さんも皆どこかへ出て行った。人はいなくなったのにここは水中のように息苦しい。私もここにはいられないとオフィスから抜け出して1人会社の前にある公園に向かった。

目の前にあるのに誰もこの公園には訪れない。煌びやかな風景も子供が集まる遊具もなくて、公園とゆうよりも森という方がしっくりくるようなところ。私は小さな池を眺めるためと言わんばかりに置いてあるベンチに腰掛け、ご飯を食べる。毎日の数少ない私の習慣だ。誰もいないこの公園を訪れるたび水の中から水上に顔を出した時のように一気にスッキリとした空気が体に入り込む。ユートピアがあるとするならこうゆう感じがするんだなと心の中で考える。

古こけた木箱を膝の上に置き、木々の葉枝が重なり合い昼間であっても薄暗くなっている公園で今日は綺麗に焼けたなと今朝自分で焼いた卵焼きをつまんだ。美味しい。

ザワザワと風に揺蕩われる葉枝が音を立て、静まり返る公園を賑やかにする。一人なのに孤独を感じさせないここはやっぱりユートピアだ。遠くの道路から小さな影列が迫る。入り口にある白いポールの横からいつものように猫が数匹やって来ていた。どこから湧き出てくるのか、そう疑問を持ちつつも飼い主が不在であることは明らかなほど汚らしい。

ふと、猫たちが花壇の隅を嗅ぎつけているのを見て朝押しかけてきた男性のことが頭をよぎる。この公園でいつもご飯のカスを分け与えている猫の写真を見せてきた。真っ白などこかの家の飼い猫と思わせるその風貌。花壇の上で屯する猫たちとは風格の違いが見て取れる。そんな高貴な猫もいつもはこの時間に私の元を訪れていた。白猫が私を訪れるようになったのは1年前の春私が今の会社に就職してこの公園を見つけ、昼食の場として活用し始めた頃だった。

特段優れた履歴を持ち合わせていなかった私が偶然にも入社できたのはアルファベットを適当に並べたKATACというサービス業の親会社。いかにもイカした英略語の臭いを漂わせているにもかかわらず、KAtsumoto TArou Companyは先代の創業者の日本人臭がぷんぷんする名前が使われている。母親に会社の話をするたびにダサいのにカッコつけてると小馬鹿にされる。

そんな会社で入りたてだった私を飼い猫のように可愛がって育ててくれたのは配属された部署の濱さんだった。初日に緊張して、部長と勘違いし今日からお願いしますと挨拶をしにいった相手が濱さんだ。

「新人さんよろしくね。あっちに座ってるのが部長だよ。ファイトー!」

第一印象としては完璧なくらい澄んだ笑顔に重みのある優しい声で対応してくれた。

やらかしたと足早で部長の元へ行くと君は声が小さいねとおじさん臭い言葉を投げつけられた。たわいもない発言だけど意外にも部長を怖いものとして描く虚像ができてしまった。そこで間髪入れずにすみませんとはっきりした声で返せば良かったはずが、私は返せずにいたこともあって部長は完全に私の弱さを知った。初日から明らかに業務と関係のない作業を任され良いカモとなった。

部長の雑用を何度もこなし業務も数か月こなし落ち着いてきたと感じ始めた頃に部長が指示してきたコーヒーを淹れていると「元気してる?」と濱さんが明るい声音で語りかけてきた。
「大変ですけど、元気にやってますよ」
私は完全に心を開いたわけじゃなかったから部長にチクられても問題ないように適当に返した。
「そっか。がんばってね。」
いつもコーヒーを淹れていると一言かけてくれる。僻みたいほど完璧に優しい。手短な言葉でも部長の言葉とは温度が違う。30台後半にもかかわらず祖父のような奥深さを持ち合わせてる。この人なら少し打ち明けても問題ないと思う。何か話を繋げようと振り向いた時には濱さんはいなくなっていた。がんばって話かけようとした自分自身が恥ずかしくなって顔を赤らめているとオフィスの方から怒鳴り声が響いた。部長の席だ。

「お前な!何年目だよ!こんなやり方でやられてたらこっちもたまったもんじゃないよ!」

私がオフィスを覗くと部長の席の前に肩を窄めた濱さんが立っていた。怒り口調で部長は続ける。

「お前の独自のやり方もあるのかもしれないけど、他の社員だっているんだから協調性持ってくれないと!」

頭を下げることもなく濱さんはただそこに立っていた。親に腹を立てた反抗期の高校生みたいに抱く気持ちを心に秘めながらもただ嫌々立たされていた。

「こんな自分勝手に何度もやられると困るよ」

落ち着いた口調に戻った部長はため息混じりに呆れていた。ただ、その場は怒られている人間と怒る人間だけの雰囲気ではない。優しくしてくれていた濱さんがこんなにもここでは居場所がないんだと知らなかった。周りを見渡せば他の社員にも冷たい目で見られている。あいつ邪魔くさいよなと呟く声も聞こえた。あえて聞こえるように言ったのだろう。

濱さんは自分なりに有益になるよう考えて仕事をしていた。でもそれはいつも会社の人間にとっては異端的で受け入れられなかったのだ。
どんなことをやっているのか。なぜ冷たい目で見られているのか。入ったばかりの私には何もわからなかったが、ただ濱さんにはここに居場所はないんだと感じた。

怒鳴られていた翌日にも濱さんはコロッと復活していつものように私に一言かけてくれた。

「仕事楽しい?」

あんな場面を見た私には何と返せば良いのか言葉が定まらない。

それなりにと何事もなかったかの様にただ空気が声を出した様な当たり障りのないふわふわとした声で答える。相変わらず、濱さんはにこにこだ。その顔以外の面を失ったのか。どんなことが起きようとこんなにも変わらない日常は過ぎてゆく。

今日もまた変わらず自分の仕事以上に雑用をさせられ、ようやく太陽がてっぺんに到達しそうな頃なのにもうぐったり疲れ切っている。こんな時に思うのは昼ごはんの卵焼きがうまくできたかどうかだけ。癒しの場に逃げる様にあの公園へと早足で会社を後にした。

管理が行き届いていない伸びすぎた木々の隙間から公園が目に入ると珍しく人がいた。
初めは男としかわからなかったけど、知人だと気づくと脳はすぐに誰かと判断をする。
濱さんだ。
しゃがみ込んだ濱さんの前には白い何かがある。いや、いるの方が的確か。
見つけた途端私の身体は木の幹の後ろへと逸れた。

枝葉の音しかない公園では小さな声も拡声される。ぶつぶつと話す声も私まで届く。
濱さんが猫に声をかけていた。
「君の居場所はここじゃないよ」
その猫は確かにその場に似合わず輝かしく真っ白だった。しかし、その言葉は濱さんが猫に対してというよりは鏡を見て自身に言い聞かせているようだった。愛想良さげで見た目も悪くない、だけどどこか周りから浮いている。

盗み聞きは悪い様に思い、彼の方へと向かおうとするが、一度隠した身はなかなか前に出ない。特段会うとまずいわけでもないのだけど、私は彼の視線から見えない様に木と彼を結んだ直線の延長を進んでそこから存在を消した。
仕方なく、オフィスの辛い空気の中でお弁当を食べた。卵焼きは水分が多すぎて柔らかすぎた。

数日後に濱さんはいなくなった。あまりにもオフィスに来た時に変わりがなかったので気づかないほどだった。存在が薄いわけではないのだけど、濱さんと会社で会うのはコーヒースタンドの前だけだったのを今気づいた。
部長のコーヒーの時間に濱さんと会わないから彼のデスクを見たがすでに抜け殻だった。傍観していた私に部長が遠目で辞めたよと言うがその声は聞こえづらかった。

どことなく落ち着かなかった私は昼前だったが公園に向かった。なぜかそこにいる気がした。しかし、人影は当たり前のようにない。
疲れたわけでもないのに、どっと体に重みを感じる。肩を落とした時に、足元に眩しく白い物体が当たった。光を反射するほど白い。
あの猫だ。
勝手に私の口からなんでここにいるのと言葉が出た。猫は言葉なんて知らないふりして、ただ頬を前足で撫でている。
この猫は音沙汰なくいなくなった濱さんとの唯一のつながり。あの日濱さんが話しかけていた猫。あの日たまたま居合わせた猫。知るよしもないのにまたもや、私の口が勝手に話しかける。

「どこへ行ったの?あなたの居場所はどこ?」





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