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不登校後期の頃 【放課後登校&別室登校へ】

コンプリメントトレーニングを始めてから1ヶ月を過ぎた頃、放課後に担任に会いに行ったり、別室登校で1時間ほどだけ学校で過ごすことができるようになってきました。

上の写真は実際の放課後の教室です。
息子が動けない時は、私が仕事帰りに教室へ行き、次の日の時間割を聞いたり、机の位置を写真を撮ったりして息子にみせたりしていました。

「あなたの居場所はここだよ」

と伝えるためです。
担任の先生も毎日電話をしてくれて、週末には家庭訪問してくれていました。
受験のための面談があるから来いよと声をかける日もあれば、今日は元気そうで顔が見れてよかったと言って帰っていく日もありました。

受験生を受け持っているし、他の子達への対応も大変なのに、それでも忙しい中時間をつけて来て下さり、私の不安な気持ちにも可能な限り対応して下さり、本当に感謝しています。

先生が電話をくれた次の日は、放課後に会いに行ったりもできるようになり、誰もいない放課後の教室に入り、プリントをもらって帰ってくる、生徒が登校し終わった時間に私が学校まで送り、裏口から別室へ1時間だけ登校したりできるようになってきました。

たったそれだけのこと。

ですが、それだけのことが不登校になってからはできなくなっていたのです。
朝起きて制服に着替え、行ってらっしゃいと見送ることがどんなに幸せなことなのかを、改めて感じることができました。

12月に入り、受験生の息子は進路を決めないといけない時期にきていました。
進路を相談するための三者面談すら行かない、行きたくない、学校へ行く価値もわからない、やりたくも無い勉強をする意味は何?
俺を納得させる理由を持ってこれたら、面談に行ってやるよ。
って言っていました。

【学校の価値については別で書きます】

このままだと高校生にすらなれないかもという切羽詰まった状態でした。
担任の先生から、不登校に手厚い単位制の高校の推薦をお話いただき、自己PRを記入する用紙を手渡されました。
何日たっても真っ白なまま。
先生からも、明日の夜8時までに学校へ持ってこないと推薦は出せないというくらいに期限が迫っていても真っ白。
とうとう当日の夕方、心配した先生が家庭訪問に来てくれ、あと2時間あるから学校で待ってる。高校生になるチャンスをひとつ捨てるのか、チャンスを生かすのかはお前次第だ。とにかくリミットの時間ギリギリまで待ってるから。と言い残し家を後にされました。
私は泣きながら、いい加減に書きなよ!!と何度も言ってましたが部屋のドアは閉まったまま。
その場に居られなくて、外に出て頭を冷やしてくることにしました。
落ち着いたころ腹を括り家に戻りました。
しっかりと、力強い文字で、自己PR、がんばったこと、高校生になったらどうなりたいかがビッシリ書かれた用紙がリビングに置いてありました。

部屋を覗くと、制服に着替え学校へ行く準備をしている息子がいました。
急いで車を走らせ、学校へ到着。
19時50分頃でした。
先生は本当に玄関で待っていました。

お前、やればできるじゃないか!間に合ったぞ!
けどな、親に心配ばっかりかけてんじゃねーぞ笑

と笑顔で息子に接してくれました。その時の息子のはにかんだ笑顔がとても可愛いかったのを覚えています。

自分の力で書き切った自己PR書。

そこには、
「高校生になったら、少しでも勉強をがんばって社会に出た時に恥ずかしくない人になりたい」
「自分は精一杯、部活をやりきりました。辛い時も諦めない根性があります。」

何度も書き直して、消しゴムの跡がいっぱいついた、でも紛れもない、「意志の力」で力強く書かれたものでした。


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