🌸なーたん🌸

世界一幸せなお母さんになるために 日々学び、成長していきたいと奮闘中です🌸 うまくいか…

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世界一幸せなお母さんになるために 日々学び、成長していきたいと奮闘中です🌸 うまくいかないこともたくさんあるけど 親が変われば子も変わると信じて🌸

最近の記事

世界一幸せなお母さんへの道②

高校生になり、登校を続けている息子ですが… 6月になりジメジメする季節でもあり学校に慣れてきて疲れも出始めていますね。 部活は彼にとってかなり自信の水を消費する場所のようです。 それは、彼がそのスポーツに対して本気で向き合っているからこそなのですが。 たとえ周りの人達からみたら些細なことだとしても、納得のいくプレーじゃないと本人が感じたら →こんなに努力しているのに上手くできない →こんなにがんばっているのになぜ? →俺ってセンスがない →そういえば体格も周りからみたら

    • 世界一幸せなお母さんへの道①

      息子が不登校になったこと。 それは暗闇の中へ放り込まれ、世間との関わりを断絶されてしまったような感覚でした。 コンプリメントトレーニングと出会い、実践していくなかで私にも子供にも「心の変化」がみられるようになっていきました。 子供のことはよーく観察するクセがつきまして・・・ 「観察」はオッケーですが、行き過ぎて「監視」になってしまっていることもあったりします。 ですが、あっこれって監視かも?ってすぐさまブレーキをかけられるようには少しずつですがなってきました。 そんな私ですが

      • 脱・不登校【息子の成長・・・日々失敗の連続】

        高校へ入学してから、朝は遅くても7時半ごろには家を出て、放課後の部活もこなし夜8時近くに帰ってきます。 中学時代は、部活の練習着なんかも洗濯したものをたたんで部活用バッグに入れて準備しておいたり、朝起こす時から数分おきに、「あれは?」「これは?」「はやく!」「まだ?」などけたたましく声をかけまくっていました。 練習時や試合の時も保護者が同伴するのが当たり前(顧問へのお茶出し、昼食の提供などがあった)でしたので、いつも自分の息子の動きを「監視」し、ことある毎に「何いまの!ヘタク

        • 再登校継続 【私の過去と向き合う時が来た】

          以前の記事でも書きましたが、私は成人してから私の両親とは疎遠になっていました。子供たちの入学や卒業に関しても一切関わりを絶っていましたし、お盆や正月にも部活の休みもないことを理由に5年以上は顔もみせていませんでした。 息子が不登校になり、私自身の歪んだものの見方、考え方、行動の仕方を振り返るようになってから自分の両親のことがチラチラと頭をよぎるようになってきていました。 私が学生の頃は、私は自分のことは自分で出来る子でしたし、学校のことや生活の事についてはすべて任されていまし

        世界一幸せなお母さんへの道②

          高校入試と再登校 【不登校の価値】

          冬休み明けから再度の不登校におちいってしまった息子。 正確に言うと、「意図的な不登校」を選びました。 中学3年間、まともな勉強もせず朝から晩まで部活動に縛られてきたので、部活以外の学生生活というものは何一つ送ってきませんでした。 友達と出かける、彼女を作る、家族で旅行する、クラスで運動会の打ち上げ参加する、自転車で本屋さんや映画、ゲームセンターに行く・・・ こういったことは3年間でほぼありませんでした。 家と学校、家と体育館、体育館から体育館・・・本当にこれだけです。 「普

          高校入試と再登校 【不登校の価値】

          再度の不登校 【学校の価値とは】

          腹痛、下痢、吐き気。 再登校からこのような身体症状が現れてきました。 息子はこんなに辛い思いをしながら行くなんて意味が無い。そこまでして体を痛めつけてもお母さんは登校させたいんだよね?鬼か悪魔よりも悪いと言うようになりました。 私は、子供は学校へ行き勉強することが仕事。 あなたを光の差す出口へ導くことがお母さんの仕事。 と繰り返し伝えていましたが、じゃあ、なぜ学校なのか?を深く考えてみることにしました。 私が中学時代、どんな気持ちで日常を過ごしたのかその時どう感じてどう行動

          再度の不登校 【学校の価値とは】

          意志の力で再登校 【一進一退】

          冬休み中にだいぶ自信がたまってきたようで、夕食後に筋トレをしたり、冬休みの宿題をやったり(答えを丸写し)するようになりました。 宿題については、とりあえず形だけでもやって新学期には出せるようにしたかったのだと思います。 書き初めは自分でやるしかないのでサッサと2枚だけ書き、良い方に名前を書いて終了。 そんな適当なやり方ではありましたが、新学期から登校するための形をつくったような感じでした。 前日の夜は、はぁ…とため息をついたり、明日学校かぁ…ふぅ。ってな感じで自分と戦って

          意志の力で再登校 【一進一退】

          不登校後期の頃 【学校の価値って?】

          学校へ行く価値と勉強をする意味を教えてくれたら、 俺の事を納得させれるくらいの説得力を親としてみせてくれたら、学校へ行くことを考えてやるよ。 息子はよくこう言っていました。 不登校になったばかりの頃は、この質問に答えられなかった私。 私自身、学校へ行くことは当たり前として育ち、学校へ行くことに疑問も感じたことはありませんでした。 ただ毎日、起きて行く。部活をして帰ってくる。 休日は友達とショッピング。 学校へ行くことは生きていくうえでただのルーティン。 価値をおしえてって

          不登校後期の頃 【学校の価値って?】

          不登校後期の頃 【放課後登校&別室登校へ】

          コンプリメントトレーニングを始めてから1ヶ月を過ぎた頃、放課後に担任に会いに行ったり、別室登校で1時間ほどだけ学校で過ごすことができるようになってきました。 上の写真は実際の放課後の教室です。 息子が動けない時は、私が仕事帰りに教室へ行き、次の日の時間割を聞いたり、机の位置を写真を撮ったりして息子にみせたりしていました。 「あなたの居場所はここだよ」 と伝えるためです。 担任の先生も毎日電話をしてくれて、週末には家庭訪問してくれていました。 受験のための面談があるから来

          不登校後期の頃 【放課後登校&別室登校へ】

          不登校中期の頃 【トラウマ返し】

          息子の心を無視し、自分の駒のように動かしてきた私。 自分の感情を心にしまい込んできた息子が、コンプリメントを続けることで少しずつ自分の気持ちを私に話すようになってきていました。 時々一緒に夕飯の買い物に付き合ってくれ、その車の中でも、 「ああ、今頃みんなは学校の時間なんだよな。みんな何やってるんだろう。」 「俺は今、なんでこんなことしているんだろう。」 などという言葉が出てくるようになってきていました。 コンプリメントトレーニングを始めてから一カ月くらい経っていました。

          不登校中期の頃 【トラウマ返し】

          不登校の中期の頃 【少しずつ動けるようになってきた】

          不登校になってから1ヶ月くらいたった頃でしょうか。 毎日必死で起こし、声をかけ、コンプリメントを続けていました。 息子は元々体を動かすことが得意で、スポーツテストなんかもいつも学年トップでした。 スマホやゲームなども制限しながら、少しずつコミュニケーションの時間もとれるようになってきました。 ある日の日曜日、ボルダリングへ行こうと誘うと、おっけー!の返事が。 小学生の頃から時々連れて行っていました。 指導者のお兄さんお姉さんにアドバイスをもらいながら、ひとつずつ、コースをクリ

          不登校の中期の頃 【少しずつ動けるようになってきた】

          不登校になりたての頃 【お姉ちゃんの協力】

          食欲がなく、どんどん体重が落ちていく私を心配して、独り立ちした娘が毎日来てくれるようになりました。 息子もお姉ちゃんには適わないのか、素直でした。 ご飯だよと私が声をかければ、うるせー。 お姉ちゃんが声をかければ、わかったよ。 毎日、ご飯を作っているのは私。 いただきますも、ごちそうさまもない。 食器すらそのまま。 毎日が憂鬱で仕方ありませんでした。 私が話しかけられない状態だったので、娘を通して会話しているようでした。 それでも娘は、泊まり込んでくれたり、息子を外に連

          不登校になりたての頃 【お姉ちゃんの協力】

          不登校になりたての頃 【コンプリメントとの出会い】

          完全不登校になり20日程経った頃です。 その頃の私は、ネットで必死に不登校支援をしてくれる適応教室や、心療内科、フリースクールなどを探し回っていました。 1番近くの適応教室までは車で20分…。ちょっと交通の便も悪く乗り継ぎが必要なところでした。うーん、ここまで遠いと自分で通うのも難しいなと思いました。 民間のフリースクール等は評判の良さそうなところはもっと遠く、お値段もそれなりで笑 これも断念。 唯一、たまたま電話した時に空きがあった心療内科へ一度つれていきました。 そこで

          不登校になりたての頃 【コンプリメントとの出会い】

          不登校になりたての頃【昼夜逆転】

          2020年10月頭ごろから頭が痛い、おなかが痛いと早退する回数が増えてきて、約2週間ほどで息子は完全不登校になりました。 学校から早退の電話があり、迎えにいくと表情をこわばらせている息子が職員室から出てきました。 おかしいな、朝はちゃんと食べてから登校したし、なんでだろう?なにか食べ物が悪かった? なんで早退が続くのか、理由はわかりませんでした。早退が多くなる数日前から、学校に嫌な奴がいる。無視されて嫌だ。というようなことをチラリと言っていたこともあるのですが、 もしかし

          不登校になりたての頃【昼夜逆転】

          不登校のきっかけ [間違った子育て③]

          お恥ずかしながら、私はかなりのお酒好きでした。 子供が離乳してから、それはそれは毎日飲んでいました。 特にビールが大好きで、毎日350ml缶で8本ほどは飲んでいたでしょうか。 (空き缶のごみの日にはすごい量の空き缶を捨てていました(笑)) 離婚寸前だったこともあり、日々の鬱憤をお酒にたよって晴らしていました。 まだまだ小さい子を、保育園に預けて、日中は仕事をして帰り道にスーパーへ寄りビールを買う。料理を作りながら飲む。風呂上りに飲む。寝酒のために子供をなるべく早く寝かしつけて

          不登校のきっかけ [間違った子育て③]

          不登校のきっかけ [間違った子育て②]

          私の小さい頃からの家庭環境のお話です。 私の実家は家族仲があまり良くありませんでした。 両親同士もそうですし、祖母と両親もそうでした。 三人でいがみ合ってる時もあれば、父と母で祖母につらく当たったりしてることもありました。 私には妹と弟がいますが、喘息持ちの弟は入退院を繰り返しており、小さい頃に遊んだ記憶があまりありません。 そんな弟はやがて不登校になり、家庭内暴力をふるうようになりました。弟に何度もたたかれる母を私は必死に守ってきました。 父よりも体の大きな弟には誰もかなわ

          不登校のきっかけ [間違った子育て②]