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現実的な色々の話

お疲れ様です、あおです。
タイトルのままなんですが、6月末に実家のアレコレや自分の保険料などの見直しをして、どうしても金銭的な問題という現実を直視せざるを得ない状況になったので、ぼやきがてらアウトプットという名の吐き出しをしたいと思います。

生きているとそれだけでお金がかかるの、冷静に考えると理不尽すぎて嫌になるな。

現在祖母が介護中で主にデイサービスにお世話になっているんですが、6月末に保険見直しの際に実家に戻った時に「良い機会だから現実を見せてやろう」と両親に預金通帳を見せられたんです。

びっくりしましたよ。
毎月50〜60万もの大金がゴンゴン容赦なく落ちていってるんですから。

介護費からオムツ代やらがかかり、その上に自分たちの生活費も乗っかってくる、年金だって微々たるもの、なので結果地獄のような有様になっていました。

それを見ると思い知るわけです。
自分もいつかは「この番」が来るんだと…。

今後超超高齢化社会になって社会保障やら何やらの制度が変わる可能性もあるかもしれないけど、正直望みは薄い。
今後物価がまた上昇する可能性だってある。

そして毎月容赦なく50万円以上もの大金が引かれる可能性も考えると、お金なんていくらあっても足りないよなあ……と重い気持ちになりました。


貯蓄の大切さを思い知った訳ですが、自分の微々たる給料で、将来毎月50万以上落ちても耐えられる貯蓄額になるまで積み立てるとなると、文字通り自分の使える額というのがほとんどなくなるという悲しい現実があり…。

そう考えると、正直今の自分の給料ではハイブランドなんて夢のまた夢、もしかすると生きている間で手に取ることなんて出来ないんじゃ無いかという、途方もない気持ちになって悲しくて悔しくなる。


それに仮に毎月50万円引き落とされるのに耐えられる貯蓄額になったとして、収益がない状態で毎月お金だけが引かれていく預金通帳の様子を見ると、メンタルの方が先にやられそう…という予想もつく。
(宝くじが当たってすぐ仕事を辞めるタイプの人は、収益のない状態でお金を切り崩して暮らすことになるから、自分が思っている以上にストレスのかかる状態になる、だから病む人が多い、という見解を見た。)

そう考えると本当に文字通り死ぬまで働かないと生きていけないのではないか…という絶望感に襲われる。こんなに働きたく無いのに。


自分は一人暮らしなのですが、正直結婚してパートナーと生活費を分担してたり、好きなものを買ってもらえる関係性を築いている既婚者ガールズたちの話を見ると、羨ましい気持ちになっちゃうんですけど。
だからといって「生活費の負担を折半したい、甘えたい」という打算100%でパートナー探しをしても上手くいかないし、相手もそういう条件で探しているだろうし、ならお前は相手に何を与えられるわけ?って話にもなるし、「相手に経済力を求めるならまず自分から」という話もあるので、ここら辺は慎重に行きたい。

ただ現実問題として周囲からは「結婚はやるなら早いほうがいいで、35までがタイムリミット」と助言ももらっている。
やっぱり現実的な話をすると年齢が若い人の方が選ばれやすい傾向はある。(多分選ばれるマインドじゃなくて自分から選んでいくマインドじゃないとそもそも無理なんだろうけど)
40過ぎからパートナーと巡り会えている人の話も聞くけど、やっぱりタイミング的な話もあり、全員が全員何歳からでもパートナーに巡り合えるとは限らない。
かつ自分の場合は積極的なタイプでは無く、人の交流自体が少ないので、パートナーを探すのだったら能動的に動かないといけないわけで。

でも正直休日は自分のための時間に充てたい欲もあり…婚活の話聞いてたらまんま就職活動で、貴重な休日を就職活動に充てるというのに抵抗感がある。
毎日LINEとかでやり取りしないと脈なしだと思われるのしんどい…LINEとか友人や家族とかでも仕事で疲れてると寝落ちるので毎日なんて無理なのに。

「婚活は自分1人でも幸せに生きていける!という自信があった上でやるのがいいよ。相手の経済力を当てにするってことは自分の力では幸せに生きていけませんって思ってるってことだし、自己肯定力がない状態での婚活は遅かれ早かれ病むぞ」という話を聞いて、同意しかなかった。
理想はゼクシィの「1人でも生きていけるけど、この人と生きていきたいと思った」ってキャッチコピーなんだけどね、理想の通り綺麗に生きていけないのも現実…。


30になって現実が急に押し寄せてきたのが辛すぎる。20代の頃は文字通り生きるのにいっぱいいっぱいすぎて、そこまで考える余裕がなかったけど、同い年で結婚してたり経済力がある人を見ると、どうしてもステージの違いを感じずにはいられない。
逆に言えば30にしてようやく自分の意思を持って歩き始めた赤ちゃんも同然な感じなので、ポジティブに考えたらこれから世界を広げていけばいい!!っていう風に変換も出来るけど。
どんだけ格差を感じて惨めになっても、結局自分は自分の人生を生きるしか無いわけで…生きるのって難しいね…


※追記※
先日こひ様より僭越ながら記事を引用していただき、自分もこひ様の記事を読んだのですが

記事内の

子育てだの仕事だの家事だのと日々を過ごしていると、自分の心がどんどん地層深く埋まっていくようなんですよね。はたと気付けば広がる荒野。そういや、自分は何が好きで、何を大切にしていたんだったっけ? と問いかけても、なんかここにあった気がするんだけど……とぼんやり曖昧で、なーんも明確な答えが出てこない。昔はそんなこと無かった気がするんだけど……。

ま、昔を懐かしんでいてもしょうが無いので、せっせとその堆積した土を掘り起こしていかねばなりますまい。埋まってしまった綺麗なものを、水脈を、シャベルで掘り起こしていく作業は、イコール己に向き合うってことでもありますね。

ここの部分にタイムリーにもぐっさりと刺さりました。
自分も今現実世界のアレコレに心が埋まっていっていて、自分の大切なモノに対する顕微鏡というか、そういうレンズみたいなのが濁ってるなぁ…と記事を拝読して思いました。
逆に言えば、こういう弱音に対しても向き合って吐き出してアウトプットしないと、自分自身のことを深堀もできないんだと改めて実感しました。

弱音はここで吐いたので、また前を向いて、ちゃんと自分のための深堀をしていこうと思います。
こひ様素敵な記事をありがとうございました!

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