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泡日記 4月 ぱっつん

人はどんな時に髪を切りたくなるんだろう。

「前回切ったのは1か月と少しぐらい前ですね。」
鏡越しに、右と左を見比べて微妙な長さを目で測りながら、お姉さんは私の髪に銀色の鋏を入れている。
そうだったですか。キャップを被った時に後ろがぼわってなってきたので、急に切りたくなっちゃって。
言い訳みたいな言葉がつい出てくるのは、せっかく来たなら「切った」と分かるぐらいの変化を欲しがるからだ。私が今日彼女に求めたのは、横と後ろのラインがつながった、いわゆるおかっぱのようなスタイルだったから、1か月と少し伸びたぐらいでは、そこまで印象は変えられないのだった。さっきから切っても数ミリほどの髪が、はらはら白いマントを滑っていく。

どうですかと問われて、両手でほんの少し横髪を持ち上げてみる。そこまで切ると、後ろが刈り上がりますねと言われて、じゃぁ今回はここまでにしておきますと伝える。
いずれ伸びるのだから刈るのは構わないのだが、理由は別にあるのだ。
襟足の生え際の毛が上を向いて生えているのを私たちは知っている。実際自分の後ろは見えないけれど、歴代の美容師さんに言われ続けて来たから知っている。そこの始末が悪いのだ。だから短く切るには限界がある。

初めて横と後ろが揃って、長さもギリギリ攻めたというところで今日は満足。その代わり前髪は斜めにすぱっと、必要以上に切ってもらった。お姉さんは前髪に鋏を入れながら、女の人は眉間から幸せがくるんですって、だから前髪短いのとってもいいんですよ。と言ってくれる。お客さんから聞いたんですけどねと柔らかく言う。

うふふと私も笑う。
小学生の頃の私に教えてあげたいです。こんな風に前髪を短くするのが平気になったのは40才を超えてからで、おでこが広いのはずっとコンプレックスだったから。
えーぜんぜんですよう。おでこ広いの魅力的ですよー。

私よりだいぶ若い美容師のお姉さんだけど、商売柄のおだてとは違って本当にそう思って言ってくれていると感じられる人で、私は好感を持っている。
うなじから後頭部にかけて、手で触れると分かる手術跡のことは、お姉さんはもう見た目ほとんど分かりませんと言ってくれるから、それも本当なんだと思う。だから思い切って切ってもいいなって鏡の前で思えるのだった。

最後にクリームで整えてもらってマントを外したら、首が見えた事で切った感もちゃんとある。にこにこ優しいお姉さんにお礼を言って、美容院を出た。首がすーすーして、地肌に空気が触れるのが嬉しい。

***

前回髪を切ったのは3月の頭で、母が倒れて容体も厳しいと連絡を受けた翌日だった。関西に暮らす弟と連絡を取り合って、明日は一緒に母に会いに行くという前の日、私は無性に髪を切りたくなった。

緊急なのでと電話口で医療の選択を迫られて動揺したり、現実に立ち往生してボロボロ泣いたりしていたのに、もう一つ別の思考の方は、母に会う前に髪を切りたい、いや切らねば行けないと冷静に考えてホットペッパービューティーで空きを検索していた。

こういう時、自分という人間が分からなくなる。感情の出どころは一つのはずなのに、行動が起動をそれていく。行動というのは一つではないから、こんな事態でもご飯をつくったりはあるのだけど、そこには動揺がちゃんと反映されて、作る気分になんかなれないと影響は出ているのに。髪を切りたい、小奇麗に整えておきたいと思うこの衝動はなんだ、説明できない。

美容室のお姉さんは同じ方で、前回から(1月)から1か月半空いた私の髪を博士が実験するときみたいな手つきで触りながら、今回はどうしますかと聞いてくれた。

前回は確かお誕生日の当日(1月)に、急に切りたくなったと仰られて来て下さいましたよね~と、多分カルテを見てエピソードも思い出してくれていた。
美容室の顧客管理ソフトには「急に髪を切りたくなるタイプ。希望のスタイルがあるのではなく、衝動で美容室に来るタイプ。変化がほしいタイプ。」ときっと仕訳けられているだろう。恥ずかしいがその通りである。

私はいつものように、急に切りたくなっちゃってを繰り出して、いつも直前の予約でごめんなさいと苦笑いした。死んでしまうかもしれない母に明日会いに行くんです。その前に髪を切っておきたくなったんです。ということは言わなかった。
普通に天気とか子供の事を話して、花粉症がきついとかそんなたわいもない話ばっかりして、気を抜くとブリザードみたいな不安定な感情が漏れ出てしまいそうだから、そしてそれはお姉さんに関係のないことだから、花粉症の話をしつこく盛大に話した。
そして平気でこういうことをやってのけれる私というのを、正面の大きな鏡に映っている自分の姿を淡々と見ていた。

***

さきっぽを切り離せるから。
それだな多分。
立ち去るときに美容室の床に落ちた髪をチラりと見てしまう。私の身体から離れてゴミとなって処理される、さっきまで繋がっていた髪たちよ。さようなら。

身体の内側にある心みたいな概念の、真ん中から外側に向かって沁み出していく臭気をおびるぐらいに濁ってしまった感情の最終形みたいなもの。それを髪や爪や皮膚から、切り離したり剥がれ落ちたりさせたい。
それですっきりした気分を味わって、調和を取ろうとしていていたんだな。
髪を切る=コントロール、なんだ。私には多分。



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