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泡日記 夢の話

父が死んでから初めて夢に父が現れた。私は夢の中で家の中にいるのだが、いま懸命に思い出してみてもそこは私に覚えのない、どこかの一軒家の洋間のようであった。横長の部屋の手前には濃い赤色のビロードのソファとローテーブルがあり、一見レトロな昭和の喫茶店のようでもある。ソファの足元には、一つ二ついや部屋を見渡すともっと沢山の蓋を開けたままの段ボールが置いてあった。その様は、引っ越す前か引っ越してきたばかりかといった具合である。私は部屋の横の壁一面に造りつけられた棚の前に立って、ある箱に手を伸ばそうとしている。気がつくと隣に人の気配がして、ああこれは父だと思った。
顔を見ずに尋ねた。

「この箱なんであるんやろ。」
「…」
「千恵ちゃんのみたい。」
「…」
父は私が持つ箱をぐっと身を屈めて覗き込んだ。父の後頭部が視界に入って、白い髪がふっと揺れた。父は何も言わない。

千恵ちゃんは父の姉にあたる人で数年前に亡くなっている。千恵ちゃんは長く大阪で水商売をしていてた人で、見た目も華やかな人であった。子どもがいなかったから姪の私に時々お下がりをくれた。派手で煌びやかなアクセサリーの類は地味な私に似合わないのだが、アクセサリーが入っていたゴブラン刺繍のオルゴールボックスや、細かいビーズが散りばめられたポーチは今も私の手元にある。

何となくこの家が自分の場所ではないと理解していたから、だったらなぜこれがここにあるのだろうかと不思議に思った。だから何の気なしに父に聞いてみたのだが、答えはない。ただ父のこの髪の感じは生きてるときみたいと思った。
病院の霊安室で、冷蔵庫の銀の扉を開けた時に最初に飛び込んできた揺れた白髪が蘇った。少し黄色味を帯びて触れるとしっとりしていた髪。
すると不意に世界が曖昧になった。
夢だと分かってからもう一回部屋に戻ろうと思ったけど、入り口はほころんでくぐれず、もう続きには戻れなかった。目を開けてぼんやりしながら、声を聞いてみたかったと思った。

これは、父と母が暮らした家の退去が迫っているから見た夢なのだろう。
片付けに通ってくれている弟から写真が届く。取っておくものを選り分けてくれているのだが、私はそれに懐かしいなぁとコメントを返すだけだ。行かなきゃとは思っているのだが。
夢に出てきた例の箱を、父の写真のそばに持って行った。もしかしたら今父も一緒に片付けているのだろうか。あの家はもうすぐ二人の家ではなくなる。

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