末代。

末代という言葉がある。その一族の最後の世代とでもいえばいいか、「末代まで呪ってやる」とか「末代まで祟る」とかおっかない使われ方をされがちな言葉でもある。

先日実家に帰るタイミングがあり、「うちの家はおれで末代だな」とガハハと笑ったのだが誰一人否定してくれず、かなしくなったものである。

今年の3月に離婚してから悠々自適の一人暮らしを貪っているわけだが、元来寂しがり屋な自分には少々堪える。ウソ、かなり堪える。いやそうはいえどもお前が離婚したんやないかい。という向きもあろう。私もそう思う。そう思うが実際なってみて初めてわかるというか、まあ、堪えるのだ。

とはいえ結婚したらしたでどうせ二の轍を踏むことは火を見るより明らかであり(特に性格を変えようとかなにもしていないので)今の状態で誰かと一緒になれるわけもないのだ。しかしながら精神というか肉体というか、そういうものは誰かと一緒にいたほうがええのんとちゃいますか?と時々そそのかしてくる。ある時そのそそのかしにのって某マッチングアプリを入れて課金してみた。(課金しないことには男性側はほぼなにも出来ないからだ。)最初の頃はそれなりに楽しく、実際に数名の異性にあうこともできた。

しかしながら根っからの筆無精や、怠惰もあってメッセージのやり取りにつかれて放置していたら知り合った大体の女性はお相手を見つけて早々に退会していたのである。まあ致し方ない。そういうものである。残念でもなく当然。

やってみて思ったがマッチングアプリはひどくつかれる。なにがつかれるといって「選択の連続」を迫られるからではないかと思う。大方のマッチングアプリは気になった相手にSNSでいうところのいいねを送る→相手からもいいねが返ってくる→マッチング成立→やり取りをして実際にあってみる→付き合うかどうかという流れを踏むわけである。

まずいいねを送る相手であるが、これもいろんなパラメーターを絞って(外見の特徴から性格、住んでいる地域など)検索をかけ、ピックアップされた中からああでもないこうでもない、と選んでいく。選んでいきながらなんとなく申し訳ない気持ちになる。寿司屋でネタを選ぶんじゃないだから、という気持ちになる。いや別に申し訳ない気持ちになる必要はどこにもない。利用しているみんなはすくなくともそのように選ばれ、また選ぶことに同意して利用しているわけで、同じ前提条件のもとに選択を繰り返しているわけなので罪悪感など感じる必要もないのだ。

だがしかし。しかしなんだか申し訳ない気持ちになる。人を流れ作業のように選んでいく。モノ扱いとまで言わないけどなんか荒んでくる。

また運良くマッチングできても当たり障りのない会話からちょっとずつ踏み込んで行かなければならない。相手の嫌なことも考慮して言葉を選ぶ。ここで数打ちゃあたるでやれる人間はうらやましい。申し訳ないがわたしはそんなに冴えた容姿でもなければ、気の利いたことも言えないしせめて相手を不快にさせないといいなあ、くらいのもんでやっている。やっているが如何せん筆無精が手伝って熱心になれない。

もうこうなってくると八方塞がりである。なんならアプリは「あんたの好きそうなお姉さんをピックアップしましたで!ホレホレ!」みたいな感じで催促してくる。催促苦手ですねん。そうしているうちにやる気を失ってアプリを開かなくなる。特に誰からメッセージが来るわけでもないから放置する。時折開いて「ああ、あの人も退会したのか」と思ってまた閉じるわけである。

世の中のマッチングアプリを活用して相手を見つけている人を全く尊敬する。おれは気力も体力もマメさもない。本当に多分おれの苗字はおれの代で末代になるような気がしている。


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