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「日記祭」と日記

日記祭


先日、下北沢のBONUSTRACKで開催された「日記祭」に行きました。

いま日記をつけていない方には「今日から日記をつけよう」と思っていただけるような一日に、元々日記をつけている方には、日記の魅力をより感じていただけるような機会になれば幸いです。

第2回「日記祭」を開催します|日記屋 月日

このイベントを知ったのは、私のイチオシ文具メーカー「ミドリ」さんのSNSがきっかけでした。
私の愛用している文具たちはミドリ製品がたくさんです。実際、「MDノート」というミドリさんの看板商品を日記として使っています。
ミドリさんはこの日記祭に「日記のきっかけ展」で参加されていました。告知SNSを見て、これは行かなくては…!となりました。

「日記のきっかけ展」はミドリの「連用日記 扉」の10周年を記念して開催されたそうです。連用日記は、数年分の同じ日付が1ページで記録できるものです。

「日記のきっかけ展」では、連用日記を実際に使っている方たちの使用例が日記を始めたきっかけの一言とともに展示されていました。
ひとそれぞれの使い方があり、ひとそれぞれの人生があることに改めて気づきました。その人の本当の生活、何気ない日常。生きていることは地続きであるということを連用日記から感じました。知らない人の生活に触れて、胸が温かくなりました。


展示を見ていたら、自分の日記のきっかけについて思いを馳せてしまいました。日記祭のテーマでもあるように、「元々日記を付けている方には日記の魅力をより感じていただけるような機会」となったので、私が思う日記の魅力について、書いてみたいと思います。

「日記」と「嬉しかったこと日記」

私は、日記を付け始めてもうすぐ3年になります。始めたのは高校を卒業してすぐ、コロナウイルスがちょうど流行り出し、ステイホームを余儀なくされていた頃です。当時はコロナ以外にも色々なことが重なり、気分がふさぎがちでした。そこで、少しでも日々に色が付くように、些細な事でも記録するようになりました。使っていたのは株式会社LIFEさんのノートです(このノートも最高なのでオススメです)。フレンチトーストを作った、とかどうぶつの森で推しのキャラが島に来た、とか本当に些細なことを書いていました。笑
でも、同じような毎日でも決して同じ日はないんだなと読み返していて思います。途中から、その日作った短歌を書くようになりました。外出ができるようになってからはその日の服装も記録していました。これには、去年の今頃何着てた!?問題が解消されるのでとても役立っています。

日記を付けていたノートを使い切ったことをきっかけに、今年からは「嬉しかったこと日記」を付け始めました。毎日書くのではなく、忘れたくないような嬉しかったことがあったときだけ書く日記です。毎日書くようにしていると、今日は大したことしていないな…とか書くことない…とモチベーションが下がってしまったり、続けることが負担になってしまうことも少なくありません。嬉しかったときだけ、とすると当然書いている間も嬉しい。
私は基本的にネガティブなので、良かったことより悪かったことの方が記憶に残りやすいです。どんなにハッピーなことがあっても、ちょっとした失敗に頭が持ってかれやすいので、そんな自分を変えるために始めました。

嬉しかったこと日記は先ほども少し紹介したミドリさんの「MDノート」を使っています。文庫本サイズなので持ち運びがしやすいです。(喫茶店で嬉しかったこと日記を書いたときは、”正解”を見つけた…と思いました。)
私は見開きで使っているのですが、右側に日記を、左側にその日感じたことと通ずる好きな短歌や歌詞、マンガのセリフなどを書いています。
自分の本当の言葉と、自分の好きな言葉が並んだ、特別な一冊になってきました。誰にも見せたくないけど、全員に見せたい…。
実際は、嬉しかったことだけでなく、気分が落ち込んだときに気持ちを整理するためにネガティブな感情を書き殴ったりもしています。それもそれで、人間臭くて私らしいなあとも思います。


日記の魅力、まとめ

日記の魅力は、やっぱり自分と向き合うことだと思います。頭の中だけで考えているとぐちゃぐちゃになってどんどん深みにハマっていきます。起こった出来事を箇条書きにするだけでも、情報が整理されて思考がクリアになります。私は自分の感情に疎く、自分は何が嫌なのか楽しいのか、何をしたいのか、自覚的ではありません。でも、自分の声に耳を澄ましているうちに、段々と素直な気持ちがわかるようになりました。世間や他人に振り回されない本当の気持ちを書けることは日記の大きな特徴だと思います。

今年一番ハマったものは、と聞かれたら雪舟えまさんの「地球の恋人たちの朝食」と答えるくらい愛読している詩集があるのですが、これも日記という体裁で書かれたものです。雪舟さんの言葉はどれも飾らない雪舟さん自身から零れ落ちた本当の言葉のような気がして、大好きです。もし日記というフォーマットも手伝ってそうさせているのだとしたら、好きになるのも必然だったのかもしれません。

私の短歌に、「逢うために薔薇の螺旋を降りてゆく 記憶はいつから思い出になる?」という歌があるのですが、日記は記憶を記憶のままにしてくれるようにも思います。脳内で反芻しているだけだと、いつのまにか脚色され、思い出として良くも悪くも美化されてしまうかもしれません。でも、その日あった出来事をそのまま記録したら、そのときの景色や感情を新鮮なまま保存できるのではないでしょうか。

日記はマメな人がやるもののようなイメージがありますが、使う人全員にそれぞれの使い方があるものだと思います。私は自分自身が可視化されたものが日記だと、ここまで書いてみて思いました。
読んでくださった方の中に、日記を始めるか悩んでいる方がいたらぜひ始めてみて欲しいです。
長くなりましたが、日記祭とても楽しかったです!
ありがとうございました。

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