帰納と驚き 序章

 本稿はいくつかの哲学の難問を足掛かりとして、私と世界の構造を粗描することを目的としている。
そのための主な道具はオッカムの剃刀だ。
世界が今このようにあるためにはどのような前提が要請されるのか?
私たちはこれから、不要な先入観を排して、可能な限り簡潔に、この要請される前提を追っていくことになる。
世界の前提を、その前提の前提を、そのまた前提を追う過程は、私の成り立ちを遡行する道程でもある。
その道の果てで私たちがたどり着くのは、すべての知識の、認識の、意識の前提となる世界の姿であり、すべての間違いが生じる前の場所であり、そして私の始まりの場所だ。

 扱う哲学問題は主に「グルーのパラドクス」、「自然の斉一性原理の証明問題」、「時間の正体」、「私とは何か?」あるいは「意識のハードプロブレム」の4つないし5つである。

 第1章では、帰納推論の本質が情報量の減少にあることを明らかにしたうえで、私たちの認識および知識のすべてが帰納推論と同様の帰納的情報処理によって獲得されたものであることを概説する。

 第2章では第1章で得た観点から「グルーのパラドクス」を再考し、このパラドクスの問題点が「エメラルドはグルーである」という法則の帰納にあるのではなく、それ以前の「グルー」という概念の帰納不可能性にあることを示して、帰納可能であることが知識の必要条件であることを明らかにする。
その一方で、「エメラルドはグルーである」という文もまた帰納された概念の結合によって構成されていることを指摘し、そのような帰納および帰納されたものの結合によって構成される構造物を指す用語として、本稿において重要な役割を果たす「物語」という概念を導入する。

 第3章では、「なぜ過去に成り立っていた法則は未来にも成り立つといえるのか?」という自然の斉一性原理の証明問題を足掛かりに、時間と斉一性の関係を見直し、未来や過去においても自然の斉一性原理が適応可能なのではなく、そもそも未来や過去と呼ばれる時間認識が自然の斉一性原理を前提として生じていることを示す。
その時間に関する考察を空間にも適応することで、客観的世界を構成する時間と空間がともに意識に映る世界の斉一的変化を前提に生じていること、さらには変化の構成要素のうち消える要素が時間を、残る要素が空間を形作っていることを明らかにする。

 第4章では、前章までの流れを受けて、意識のあり方を「驚き」に注目して分析し、私は無意識に世界を予測していて、その予測が外れる際の驚きこそが意識であること、すなわち、予測の世界と実際の世界の邂逅の場が意識であり、その両者の差異が意識世界を構成していることを明らかにする。

 第5章では、第4章の「予測の世界と実際の世界の邂逅の場が意識である」という結論の問題点を整理したうえで、「なぜ予測が間違いうるのか?」という問をたて、「間違い」について検討する。
間違い一般に着目して世界には本来間違いなど存在しえないこと、帰納によって間違うことが可能になっていることを指摘して、予測が間違いうるためには、それが帰納によって導かれていなければならないことを概説する。
 
 さらに、帰納が意識の前提として要請されたことを受けて、帰納の定義を広義の「現象としての帰納」へ敷衍し、そのうえで帰納の性質上、意識が存在するためには、「予測の世界」に加えて、予測する帰納系としての「私の物語」、予測と対照される「対照世界」、その対照世界を導く帰納系としての「世界側の物語」、そしてそれら帰納の前提となる「原世界」が要請されることを明らかにする。

 第6章では、第3章で時間と空間の前提として要請された「変化」について、それが原世界の性質と言えるか否かという観点から考察する。
その過程で「写像として帰納」という新たな帰納の定義を導入する。
その結果、「私の物語」と「世界側の物語」によって構成された意識の構造自体に変化を生じさせる仕組みが組み込まれていることが示され、原世界には変化という性質が要請されていないことが明らかになる。

 第7章では、まず客観的世界、主観的世界、意識世界の各世界における「私」の一般的な意味を概観する。
次いで原世界における「私」とは「私の物語」であることを指摘し、そこからどのようにして各世界における私および他者が再構築されるかを述べる。
そして最後に、本稿「帰納と驚き」の先に垣間見える世界のおぼろなイメージを描いて、私たちの帰納の旅は終わりを迎えることになる。

 私たちは本稿を通して、客観的世界から帰納をさかのぼってその始点である原世界へいたり、そこから再び客観的世界へと戻ってくることになる。
スタートとゴールは同じ場所ではあるが、旅の前と後とではすべてが同じというわけにはいかないだろう。
本稿を読み終えたあとで、世界がどのように変わり、あなたがどのように変わり、そして私がどのように変わるのか、それを是非、あなたのその目で見ていただきたい。

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