あおい

地方在住のアラフォー会社員。 旅行好きでコーヒー好きな"元"本好き…

あおい

地方在住のアラフォー会社員。 旅行好きでコーヒー好きな"元"本好き。 素敵な写真と文章を綴れる人に憧れています。

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    ひとりごとのような言葉と思い。《全記事投げ銭制です。無料で全文読んでいただけますが、気に入っていただいた記事があれば、ご購入いただけるとうれしいです。》

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    日常の中の徒然なこと。

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    日々のお昼ごはんをまとめています。 おしゃれでもキラキラでもないリアルなお昼ごはん。

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私は子どもがほしくない

人によっては批判されそうなこのタイトル。 子どもを産むべきだと考えている人には不快だろうから、ぜひとも回れ右してこのページを閉じてほしい。 私は子どもがほしくない。 実際いない。これからも産まないだろう。 理由は、自分自身がとても生きにくいから。 メンタルこじらせているような人間だから。 そして私以上に生きにくいどころではなさそうな兄弟を見ている。 兄弟との関係は、今となっては、私にはしんどくこわく、私は私で幸せに生きるから、あなたはあなたで幸せに生きてくださいというス

    • エア・ジャーナリング

      最近ジャーナリングが流行っているらしい。 書く瞑想と言われているジャーナリング。 時間がうまく作れなかったり、家族の目が気になったり、ノート見られたらイヤだとか、そういう諸々が気になって、ちゃんと「ジャーナリング」的にはやれていないんだけど、書くことで気持ちが整理されるとかスッキリするというのは理解る。 私も何かを整理したいときは書くし、書くことで単純に胸の滞りが取れる感覚がするときもある。 たぶん人って、考えたこともだけれど感じたことを無意識に抑えてしまったりスルー

      • 私は好きじゃない

        誰と誰が結婚したとか 兄弟だとか 馴れ初めだとか 子どもの有無とか そういう他人にまつわるアレコレを 気さくな顔をして情報収集し、 仕入れた情報を喜々として別の誰かに吹聴する。 そういう性質が強い人に、私は嫌悪感を感じてしまう。

        • 私はまだ登りたい。 引き算ではなく、まだ足したい。 中途半端で途切れさせたキャリア。 前の私のようにまた仕事したい。 もう一度、あんな私で仕事したい。

        私は子どもがほしくない

        • エア・ジャーナリング

        • 私は好きじゃない

        • 私はまだ登りたい。 引き算ではなく、まだ足したい。 中途半端で途切れさせたキャリア。 前の私のようにまた仕事したい。 もう一度、あんな私で仕事したい。

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        記事

          秋晴れ。 そよぐ風も心地よく。

          秋晴れ。 そよぐ風も心地よく。

          逃げてしまうよね 避けてしまうよね 昔の知り合いに、今どうしてる?って聞かれるのがこわくて 今の自分を見られたくないから 知られたくないから あの人が…って言われるのがイヤだから

          逃げてしまうよね 避けてしまうよね 昔の知り合いに、今どうしてる?って聞かれるのがこわくて 今の自分を見られたくないから 知られたくないから あの人が…って言われるのがイヤだから

          人との距離感

          職場に苦手な人がいる。 その人が入ってきたとき、プライベートなこと(子どもがいるとかいないとか)について、 「踏み込みすぎじゃない?」 ということを言われたり、その他いろいろあったので距離を置いている。 が、仕事のことで話さざるを得ないときもあり、その都度、もしくはけっこうな確率で、嫌だなーと感じてしまう。 理由は、まぁいろいろあるのだが、ひとつは身体的距離だということに気がついた。 つまりその人は近すぎるのだ。 身体的なパーソナルスペースに入ってこられる。 常に、

          人との距離感

          不必要に病院に行くご老人の気持ちが少しわかってしまったかもしれない話

          別にご老人にケンカを売ろうとかそういうわけではないけれど、年金とか社会保障とか医療費とか。 私たち年金もらえるの?と思いながら、今のご老人の生活を支えるために社会保険を納付している世代としては、不必要な病院の受診にちょっと批判的な気持ちをもってしまうこともあるのです。 もちろん具合が悪ければ行けばいい。 でも、悪いところがあるわけじゃないけど、病院に行くご老人、みたいな方もいらっしゃる。 で、もしかしたら、その人たちってこういう気持ちなのかな、と最近思ったのです。 そう、

          不必要に病院に行くご老人の気持ちが少しわかってしまったかもしれない話

          過保護かもしれない、と思うのだが

          先日夫が体調を崩して発熱した。 割と高めの熱で、頭痛や関節痛もあり、動くのがつらい状態だった。 発熱すると高熱になるタイプなので、それだけなら家で寝ておくもヨシ、病院いくもヨシ、自分でどうにかしてもらうのだが、動きが怪しい方が問題だった。 病院に行くとすると、我が家の場合、移動手段は自家用車になる。 熱だけなら自分で行ってもらうのだが、動きが怪しい中、運転をするのは危ないと思った。 移動中に事故でも起きたら、それこそ大変だと思った。 だから、私は仕事を半日休みをもらって

          過保護かもしれない、と思うのだが

          善意が重く感じた話

          以前、実家にひとり暮らししていた頃、夏になるとうちの庭は伸び放題の雑草で、まさに草ボーボーだった。 私はどうやらいろいろズボラらしく、そういうこの気づかない。 本当に目に入らないし、目に入ったとしても次の瞬間には忘れてしまっている。 例えば伸びた草が隣家に入り込んだりするのはさすがによくないので、そうならないようにしないといけないとは思うのだが、伸びたとて、そんな問題は起こらない環境だった。 まず、左右の家との間には雑草では超えられないブロック塀がある。 そして塀のない

          善意が重く感じた話

          noteとは別でブログしてるんだけど、フォロワーさん減ると凹むよねぇ。 どうやったら増えるんだろう

          noteとは別でブログしてるんだけど、フォロワーさん減ると凹むよねぇ。 どうやったら増えるんだろう

          私は悪くないし、言い返してもいい

          誰かに何かを言われると、あるいはきつめの言い方をされることに弱い。 すごく萎縮してしまったり、その後気に病み続けたり、自分の非を探したり責めたりしてしまう。 実際非があるかもしれないこともあれば、何もないだろうということもあれば、もちろんいろいろだし、相手が過剰に噛み付いてきているときもある(と思う) ただ、いずれにしても、このクセは自分をしんどくする。 反省とは違うものだから、しんどさ以外の何物をも生成しない。 ひとつ、自分に呪文を教えようと思う。 こういうときに唱

          私は悪くないし、言い返してもいい

          死ぬ前に後悔するそのことは、死ぬときにだから後悔できるのでは?と思った話

          最近よくVoicyを聞いている。 今日聞いていたとある話の中に、死ぬ前に後悔する10のことの話があった。 「なんでもっと人を許さなかったんだろう」 という後悔が取り上げられていた。 例えば疎遠になってしまった友人とか、家族とか。 死ぬ前にそう思うのは、解る。 でも同時に、それは死ぬ前だから思えるんじゃないの?とも思う。 死ぬときは、もう先がないから。 生きている間は、許したその先の時間がある。 親しい仲に戻るのか、一定の距離感で付き合うのか、許したけど距離は保

          死ぬ前に後悔するそのことは、死ぬときにだから後悔できるのでは?と思った話

          ふつうに見えて意外と出てこない言葉

          私は「ありがとう」が苦手だ。 使える人にはふつうに使える言葉だけど、私はすっと出てこない。 これは言ったほうがいいのかな? と考えて言えなくなることもある。 考えてないて言えよ!と言われそうだけど、考えてしまう。 後になってから、あそこはありがとうございますと言うべき場面だったかもしれない、 と思い返すこともある。 べきとかじゃなく言えよ!と言われそうだけど、そのときに出てこないのだ。 就職して1年目の頃、当時の上司に「ありがとうとすみませんが少ない」と指摘された

          ふつうに見えて意外と出てこない言葉

          やり過ごしている

          私は今をやり過ごしている気がする。 オーダーした願いが形になるのを待ちながら 具現化するのを待ちながら 叶っていない今をやり過ごしている気がする。 今の現実をまともに見るのは苦しい気持ちになるだけだから。 見ないようにしている。 だって、これは今の私が望んでいるものではない。 過去の私が選択したものではあるけれど。 やり過ごさなくていい現実を生きたいと思いながら、それが形になるのを待ちながら、今の望まないものを、時間をやり過ごしている。 望むのは、今を気持ち良い

          やり過ごしている

          その火種、私もあったかも

          他の方のnoteで 大人になってしている趣味には、子どもの頃に経験していたり興味を持っていたというような”火種”がある という内容の記事を読んで、「あぁ確かに」と納得した。 私が大人になって、趣味だったり、そこまでちゃんとやってないけど好きなもの、触れたくなってしまうものには、確かに子どものときにやっていたり興味を持っていた経験、記憶があるように思う。 例えばカメラ。 たまにしか撮ってないしうまく撮れないし、人様には「カメラが趣味です」なんて言えないけど好きなもの。

          その火種、私もあったかも