忘れもの探しの日
西野さん主催のアドベントカレンダー2022参加作品です。
*物語を書きつつ、クリスマスにおすすめの香水を紹介してみたい欲張りセットの試みです。どの場面がどんな香水に繋がっているのかは記事の最後に。
僕が「何か欲しいものはあるか」と尋ねると、彼女は少し眉を下げ「あなたが思い出すこと」と言った。
テレビではクリスマス特集、おすすめの贈り物を紹介する番組が流れている。気軽に渡せるハンドクリームのセット。手触りがよさそうなカシミヤのストール。よくなめされた革を使ったペンケース。どれも、誰かの気を引こうと頑張って輝いているように見える。
僕たちはサプライズの類が嫌いだから、プレゼントを贈り合う時は、事前に何が欲しいか伝え合うのが決まり事だった。だからその流れで聞いただけだったのに。
「ごめん。良く聞こえなかったかも。なんだって?」
聞き返しても、彼女は同じことを答えた。
思い出す?
僕は何か約束をしていたっけ。
考えて考えて、僕はある可能性に思い至った。彼女は既に、僕に希望のプレゼントを伝えていたのだろうということ。ところが困ったことに、それが何だか全然思い出せない。
「じゃあ、辿ってみようよ、ふたりの思い出を」
***
思い出を、と言われても。
ほら、と視線で促されている気がして、僕は記憶の糸を手繰り寄せる。それは思いもよらないところへ繋がっていた。
「……あ、そうだ。あれは覚えてるよ」
「あれって?」
「はじめて会った日のこと、ほら君、変なもの飲んでたじゃいか」
あれは寒い冬のことだった。
オープンカフェのテーブルにいた彼女のーーその、両手で抱えるものに目を奪われた。
マグカップいっぱいに注がれた、金色のミルク。
「変じゃないよ。ゴールデンミルクって言うの」
「僕もうそれが気になっちゃって、思わず声をかけちゃったんだった」
「え、わたしに一目惚れしたからじゃなかったの?」
「さぁ。よく思い出せないな」
拗ねたように口を尖らせる彼女に、そうだよと頷いてあげても良かったかもしれない。あの時、どうにかして話しかけたくて、口実に目を付けたのが謎の飲み物だったのだから。
「もう。じゃああれは覚えてるかな。あのカフェでわたしがよく頼んでいたデザートはなんでしょう」
「デザート? 君甘いものならなんでも好きだったじゃん。ほら、毎年それで夏前にダイエットしなきゃってーー」
「女性に体重の話するのはマナー違反だよ!」
付き合いだしてからも、僕たちはよく出会ったカフェに二人で行った。ゴールデンミルクなんて変わったドリンクがあるくらいだ。デザートの種類も豊富だった気がする。
あの中で、よく頼んでいたもの。
ケーキ? パフェ? いや、違う。
「……果物のチョコレートがけ?」
「そう! 特に桃! 桃好きだった!」
瑞々しいフルーツに、とろけるチョコレートをたっぷりかけたその店オリジナルのメニュー。
銀色のフォークで一口大に切った桃を刺し、皿に溜まったチョコレートソースを滴るほどに絡めとる。
子供みたいに大きな口で頬張ったあと、にんまりと笑う顔が好きだった。口の端にチョコが付いていることを指摘すると、顔を真っ赤にしていたっけ。
「君とは色んな所へ行ったよな」
「そうだね。キャンプ、楽しかったなぁ」
二人ともインドア派だけど、一緒にならば行ける気がすると、初めて行ったキャンプ。
彼女は森の中で小さな実が成る木を見つけて、ひと粒ずつ摘んで食べていた。甘酸っぱい香りは、テントに戻っても離れなかった。
「焚火、あたたかかったねぇ」
「うん、星も綺麗だった」
静かな夜だった。虫の声、ぱちぱちと火がはぜる音、それが心地好くて、黙って紅茶を飲みながら穏やかな時間を過ごした。
「ああ、また一緒に行きたいな」
彼女は答えない。不思議に思って彼女の顔を見ようとしたとき、ひらりと、足元に何かが落ちた。
それは、一枚の名刺サイズのカード。
「あ、このお店は……」
ふたりで出かけた夜。自然の中ではなくて、夜になっても明かりが消えない都内の夜。
別れ際、その日はなんだか離れがたくて、どちらからともなくたまたま見つけたバーに足を踏み入れた。
「そうそう。偶然見つけたんだよね。お洒落なお店だったなぁ。あなたは赤ワイン。わたしはアップルブランデー」
「そうだっけ。よく覚えているね」
「忘れるわけないじゃない。ふふ。だって」
僕は自分の左手に目を落とす。お揃いの金色が光っている。
樽の匂いが染みついた葡萄酒を煽って、彼女が頼んだ林檎の香りがする酒も追加で頼んで。
心地よい酔いに背を押してもらって。
そうだ、僕はこのお店で彼女に言ったんだ。
「『こうやって、ふらりと知らない店に入れるのも、君とがいいな。これからもずっと。だから僕とーー』」
「わかった!覚えてる、覚えてるからやめてくれ」
手を振ってその続きを制す。忘れた訳ではない。僕の一世一代の大勝負だったのだから。でもそれを言った本人の口から聞くなんて恥ずかしすぎるじゃないか。
「ふふ。そんなに恥ずかしがらないでいいのに。あの時は真っすぐ目を見ていってくれたじゃない」
「……僕だって酔わなきゃ言えなかったんだよ」
……ああ、こうして振り返ると、たくさんの思い出がある。
振り返らなくたって、一緒に過ごすことが当たり前だったから、一日一日その今に必ず二人がいた。例えばクリスマスだって。これからも、そうやって積み重ねていくはずだった。
「ねぇ、思い出した?」
「……ああ、思い出したよ」
このクリスマス。
僕から君への、君から僕への贈り物は。
「贈り物は、無いんだね」
僕が呟くと、彼女は寂しそうに笑う。
たくさんの思い出や花で飾った祭壇の真ん中。
笑っている。白い顔で。
そうだ、君はもう。
「寂しいクリスマスにさせちゃってごめんね」
「いいよ。今年は……そうだな。ケーキはホールじゃなくてもいいのかな。僕一人じゃ食べきれないし。せっかくだから自分へのプレゼントなんてのも買ってみようかな、ちょうど気になってた財布があって……」
豪華な食事、賑やかな飾り、欲しかった物。
あんなに楽しみにしていたあの日、今はこれっぽっちも希望が持てない。あたたかいその日を想像しているのに、冷たい。心を亡くしてしまったみたいに、体中が冷たい。
手に、何かが触れた気がした。
そこにはなにもない。
それなのに、ふと君の香りとあたたかさを感じて、僕は思い出す。
「……そうだ」
「君は言っていたじゃないか。プレゼントをどうするか、僕が悩んでいたとき」
「大事なのは何をあげるかじゃない。互いに渡し合う贈り物は、心を分け合うことなんだって」
「心なら、まだ分け合うことができるよ」
「だから、君の分をあげる」
彼女が頷いたのかはわからなかった。でもきっと、持って行ってくれたのだろう。そうじゃなきゃ、この欠けたみたいに空いた胸の穴を喪失と呼ばないといけなくなるから。
こうして僕の、忘れ者探しの一日は終わる。
一日が終わって、僕だけが一歩、あの日に近づいている。
《END》
*モチーフにした香水のご紹介
*おわりに
今回は手持ちの中でクリスマスに合いそうだなと思った香りを盛り込んでみました。グルマン系が多くなりますね。
この記事の公開日は12/10。
まだ間に合います。プレゼントには香水を、ぜひ。
お読みくださりありがとうございました。
皆さまのクリスマスに、素敵な香りと思い出が寄り添いますように。
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