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愛と憎しみと昇華

かつて母がぽつりと言ったことを思い出す。
「あの時違う人と結婚していたら、違う人生だったかもしれない」と。

母と娘、という関係は特殊だと思う。父と息子、母と息子の関係とは全く違う。一番近い同性、そして一番分かり合えない存在。

Netflixで「ロストドーター」を観た。中年の女性がバカンス先で若い母親と出会い、自身の人生を回顧する、と言うシンプルなストーリーだ。しかし1週間引きずるほど自分にとって重い映画だった、

主人公が「私には母性がない」と言う。キャリアと子育ての中で悩み、周囲で協力してくれる人は少ない。そして数年間、母親であることを放棄する。

奇しくも過日読んだ「よるのふくらみ」という小説の中で、主人公の母親が、若い男と出ていき、何年後かに何事もなかったように帰ってくるという描写があった。それこそが小説の肝となっており主人公の人格形成に深い影響を与えている。

ロストドーターにおける主人公、レダもまた「女」であることを選んだ、レダの母親に関して直接的な描写はないが、子育てに悩んでいる時に「母親には頼れない」というようなセリフがあり、レダ自身が母親といい関係ではないことが推察できる。

「母親みたいになりたくない」という考えがずっと私の中にあって、それが世の中にどれくらいいるのだろうと思う。普通の家庭だとそうはならないのだろうけれど、私は母のようにはなりたくない、と思っていた時期があって、就職先もそれで選んだ。打算的な人生はこれっぽちもうまく行っていない。

母親のようになりたくない、というのは詰まるところ母親に愛されたかったのだな、と思う。レダもまた、母親を反面教師にし、完璧な母親になろうとした結果、押しつぶされてしまう。

しかし一方で母親は娘にわかってほしいと願う、大事にしているものは母と同じように大事にしてほしいし、同じ感情を分かち合いたいと思っている。レダが大切にした人形を大切にしなかった娘に対して、感情を顕にするシーンは説得力があった。もしレダの子が娘ではなく、息子だったら彼女はどこかで「男の子だし、少し乱暴だっただけ」と自分自身を納得させるのではないだろうか。

娘の立場からしたら、たまったものではない。唯一の心の安全基地がポッカリあいてしまうのだから。
私はかつて娘の立場だった。母親の愛に飢えていた。この映画を見て、最初はとても心が重かったが、完璧でなくてもよくて、不完全な母親でも愛してほしかったのだな、と思うと少し気が楽になった。

私の母が冒頭の言葉を放った本当の意図はわからない。彼女ではないから。しかし、この作品を通して、母親だって完璧じゃないし体力も精神力も100%というわけではない。愛が子に伝わらない時も、悩む時もある、ということが知れてよかった。


余談だが、オリビアコールマンの儚げな演技がキャラクターの説得力を増幅させている。レダがフランシスマクドーマンドだったら体力で乗り切れそうだな、などという妄想をしてしまった。彼女も大好きな俳優だ。

そしてこちらの記事を大変興味深く読んだ。

物語を通して、自分を見つめ直す。
やっと自分の人生を生きれる気がする。

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