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Lv30 名も世も変わる

次の元号が「令和」に決まり。平成も残すところ数十日になっている。

私は平成元年生まれであり、進学が就職などでどこへ行っても「ついにうちにも平成生まれが来たか」と言われ続けてきた。

だから私は平成生まれの象徴のような感覚があり、強く意識させられてきたところがあった。

そんな私は先月でとうとうで30歳になった。ちょうど節目なのだ。

ただ、いろいろとあって父とは疎遠になってしまった。

連絡しても返事をよこしてくれない。あー、やってしまったかなあという気持ちもありながら、やっと自由になったような不思議な気分でいる。

いろいろあるけれど、名前を「隆宏」に変えたこともひとつあると思う。

とにかくすごく怒っていた。

別に前の名前を捨てた訳じゃない。成長のために名前を2つもつことにしたくらいの気持ちだった。

しかしいろいろと積もる話はあるのだけど、口を開けば訳も聞かずに否定ばかりしてくる。それが私にとっての父親の像であることがその時にふと浮かんできた。

ずっとこんなふうに怒られるのを気にして、やらなかったことだってあったはずだと思った。

それから、私から連絡を数ヶ月絶ってみた。そこから電話をかけても、LINEをしても返事が来なくなった。

自分のせいで大事な親との繋がりを無くしてしまったのではないかという不安の気持ちが湧きあがってきた。

えーい、こっちはもう大人なんだから、なんとでもなってやる。

少しヤケになって、海外に行こうとした。パスポートを取るために地元から戸籍抄本を取り寄せたら、そこに出生届の提出者の名前として父の名前が書いてあった。

4月4日が提出日になっていた。

僕が生まれて8日目のことだった。

早いのか遅いのかさっぱりわからないが、ちゃんと自分のことを思って出世届けを提出しにくいくその姿が浮かんだような気がした。

すこし、ジーンときてしまった。

戸籍抄本に書かれた名前も当然、隆宏じゃない。

この名前が嫌いで変えた訳じゃない。むしろ好きなくらいだ。

でも、この先の人生を生きる上で何か変えなきゃならない。そういう気持ちにかられて、名前を変えることにしたのだ。

名前を変えることについて人にはいろんな考え方があることに気づかされた。

そして、名前を変えて急に疎遠になった人もいる。名前を変えてからできた友達もいる。名前が変わっても特に変わりない人もいる。

なんてことはない。

自分という存在は名前に依存しないのだと私は思うようになった。

名前というものは文字列なんだという視点を持つことができるようになった。

もちろん名前は親から贈られたものというところも忘れてはいない。

ひとつの名前に縛られる必要がないという気持ちを持つことが意外にも心にゆとりを生むこと知った。

そして名前が変わるだけで人間関係がガラリと変わる不思議も面白いところだ。

さて、私は一体どこへ行くのだろう。

何度この季節が来るたびこんな気持ちになっただろうか。

しかしとうとう30歳になってしまったのだ。もう大の大人になっていなければおかしい歳ではないか。

そう思いながら大船駅の立ち食い寿司屋で寿司を食った。

ランチセットだけにするつもりだったけど、そこから先は値段も見ずに食べたいネタを頼んでみた。

21貫くらい食って4千円にもならなかった。かといって腹一杯になったわけでもなかった。

そして潮風に誘われて鎌倉まで足を運んだ。

八雲神社の裏の山から海を眺めた。

海には海の神様がいて、誕生日にはこうやって鎌倉みたいな海の見えるところへおいでと言ってくれている気がする。

いつかの誕生日もこうやってここで海を眺めていたっけ。あれからだいぶ成長したなと思えるようになった。

いろんな人との別れや、辛いことがたくさんあったな。でも何故だかとても清々しい気持ちだ。

いつしかひとりで海を眺めることもなくなるのだろうか。

昔、くるりがLv30という歌を歌っていた。

あぁ、スイッチオンLv30飽きてきた
それでもクリアしなきゃ
クリアにしなきゃ

そんな歌詞で、マンネリや小慣れと退屈を歌った歌っだったけども。

この歌を聞いていた10代の頃、30歳ってそんなつまらない生き方をする年齢だとばかり思ってた。

しかし、全然飽きるくらい何かをやった気持ちすらなくて。私のLv30はなんだか他の人よりも物足りないパラメータかなとも思える次第だ。

平成もあと少しで終わりを迎える。

私は平成の世と共に生まれてきた。その平成の世が終わりを告げる。

私の成し遂げられなかったこと。それらが全て消えてしまうようですごく寂しい面持ちがするけど。

春の優しくて暖かな日差しが新しい世への希望の方を大きく膨らませてくれる。

次の世界へ行きたいと思う。

30年前の今日、自分よりも4歳も若い青年が出生届を役所に出したのだ。

その日から僕は名前を持った存在としてこの社会に定義されたのだった。

行き詰まったら何度でもやり直せばいい。

リセットするも、しないでコンティニューするも自分次第なのだから。

飽きるまでこのゲームをつづけたいと思う。

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