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神田沙也加ちゃんは私のプリンセスだった

大好きな人が亡くなった。涙が止まらず、眠れず、ただ吐き出したくて文章を書くことにした。
この文章は2021年12月18日の深夜に書き、公開するかどうか迷い、しばらく色んなことを考え、自分のために書いた文章であるので、自分のために公開することを決めた。
ここ数日、好きなものを見て楽しくなっても、ふとした瞬間に思い出して、泣いてしまうような状態だった。生活が出来ないほど憔悴していないし、何も楽しめないほど落ち込んでもいない。でも、私の中に確かに居続けた人が突然いなくなり、その箇所が空いたままだ。心の中を整理するためにも文章にしようと思った。
暗い話をしたいわけではないので、私が神田沙也加ちゃんを大好きであることを書いたつもりだが、私にとってまだ傷跡にもなることができないような出来事なので、悲しみが滲む部分もあるかもしれない。ただ、あの日に感じたことと、そのあと考えたこと、神田沙也加ちゃんの素晴らしさ、さやちゃんへの今の想いを記録として残しておきたい。

私は神田沙也加ちゃんのファンだ。つい先日、ミュージカル「マイフェアレディ」の東京公演を観に行った。映画のマイフェアレディは見たことがなく、このミュージカルで初めて物語を知ったが、明るく楽しく素晴らしい作品だった。まさかこの観劇がさやちゃんを観る最後の機会になるとは思ってもなかった。

さやちゃんが演じる主人公イライザは貧しい花売りの少女で、貧しさ故に美しい言葉を話すことが出来ず、汚い下町言葉で話しているところを、言語学者の教授に見られ、上流階級の人間が使う美しい言葉を教えてもらう特訓を受け、立派なレディになる話だ。そのイライザが汚い下町言葉を話しているのだが、歌い始めると、途端にさやちゃんの持っている愛らしさと気品が溢れ、プリンセスのように美しい歌声になってしまうのが、さやちゃんらしくて素敵だった。私は音楽が好きで、演劇が好きで、ミュージカルも大好きで、それらの世界では沢山の歌が上手い人がいるのは知っている。その中でも、さやちゃんの天使のような歌声は私にとって特別だった。

音楽は男性ボーカルが好きで、ライブに行くほど好きな女性アーティストは少なく、ミュージカルでも歌が上手いと感じる人は多いが、心に響く歌声の人は多くなかった。その中で、生で歌を聴きたい、演技を観たいと思わせてくれる女優が神田沙也加だった。
私は何故かさやちゃんの歌を聴くと、その作品の流れとは関係なく、泣いてしまう。その理由は自分でも分からず、さやちゃんが歌い始めると、神田沙也加の歌声が包む世界に祝福されているような気持ちになった。伸びやかに高らかに歌うさやちゃんの歌は、上手いだけはなく、途轍もなく可愛くて、優しく、幸福感に溢れていた。聴いた瞬間に、幸福ゲージが許容オーバーになり、涙になって体から漏れ出すような仕組みなんだと思う(?)。

「マイフェアレディ」も例外ではなく、イライザが歌い始めた瞬間、あまりの優しさと温かさに可愛らしさに、胸がいっぱいになり、泣いてしまった。神田沙也加の歌声は私の琴線に触れるものなのだと思う。「マイフェアレディ」のイライザは明るく可愛くてずっと素敵だったが、社交界デビューする時のドレスアップしたイライザは、まさしくレディで、プリンセスのようだった。品のある白を基調としたドレスを身に纏い、ドレスに合わせてリップの色を変えているのも印象的で、佇まいの美しさと、話す言葉と声の美しさは王族の気品をも漂わせていた。さやちゃんは私にとってプリンセスだった。

「アナと雪の女王」では本物のプリンセスになり、インスタのストーリーで質問返しをしていた時、「好きなディズニープリンセスは?」という質問に対して、「もちろん、アナ!」と言っているのはとても可愛かった。
自分の演じた役をとても大切にしていて、インスタのストーリーの質問返しで、「さーやんのエルウッズ(キューティブロンドの役名)に会いたいです。エル様っぽく励まして欲しいです」というような言葉を受けて「OMG,女の子は笑顔がいちばんよ!呼んでくれたらいつだって駆けつけるわ!」とエルを演じたときの写真と共に返していたのを見たときは、かっこよすぎて、可愛すぎて、泣けてしまった(?)。それだけ、さやちゃんは勿論エルも大好きだったのだ。

ミュージカル「キューティブロンド」は、初演も再演も観に行ったが、こんなに心が震えて、元気になって、楽しくて、笑えて、それでも何故か泣けてしまうミュージカルは他にないのでは?と思うほど素晴らしかった。この作品も何故かずっと泣いていた。悲しくないシーンでも泣けてしまうので、私の涙腺がおかしいのか?とも思ったが、私以外にも泣いている人がいたのをよく覚えている。

再演公演の観劇時、後方の席で観ていたのだが、前方に劇場にあまりいない雰囲気の女性がいた。観劇に来る客層というのはなんとなく分かってくるものだが、その女性が所謂ギャルだった(言い方が難しい)。長い金髪を巻き、真冬にも関わらず、素足にショートパンツで、服装も派手で目立っていたのを覚えている。その時の客層とは少し異なっていた印象だった。観劇中に私が明るいシーンにも関わらず、エルが歌い始めて泣いていると、その女性も同じようにハンカチで目を拭いながら泣いていた。それを見たとき、この人も私と同じでエルに心を救われたんだな、と思って、また泣けてしまった。そのひとだけではなく、キューティーブロンドでは、エルの歌を聴いて泣いてる観客は多い。それだけ、エルとさやちゃんの歌は人の心を震わせるものだった。
初演公演は、ミュージカルが好きな母と、映画「キューティブロンド」が大好きなさやちゃんのファンの妹と観たが、その時は、親子三人揃って泣いていた。同じ感性すぎて笑ってしまったが、ミュージカル「キューティブロンド」ファンで埋め尽くされるあの空間には、同じ気持ちになった人が多くいたと思う。さやちゃんのエルはそれだけ素晴らしかった。

映画「キューティブロンド」も物凄く好きで、回数を覚えてないほど見ていて、大好きな作品だが、ミュージカル「キューティブロンド」はまた別物なのだ。エルウッズの愛らしさや可愛さは勿論どちらも素晴らしいが、ミュージカルは歌の破壊力が凄まじく、明るく楽しいのに、歌声のパワーが苦しくなるほど胸に響く。
ミュージカル「キューティブロンド」の神田沙也加の演じたエルウッズは、女の子が憧れるヒロインであり、品がある美しいプリンセスであり、女の子のピンチを明るく救うヒーローだった。私は本当に神田沙也加のエルが大好きだった。あんなにも心を動かされる女の子のキャラクターとは今後出会えないのではないかと思うほどに特別だった。再演も好評で、きっとまたいつか神田沙也加のエルに会えると信じて疑っていなかった。エルだけではなく、神田沙也加の演劇を見る最後の機会がもう終わっていたなんて、想像もしなかった。

まだまだ好きな作品を上げればきりがない。「MUSICALOID #38 」で初めてライブを行った時も、さやちゃんの歌をライブハウスで聴けて、MVが公開されて聴いて号泣した「林檎売りの泡沫少女」を生で聴けて、最高の時間だった。そのライブ中のMCの時に、MCの方から、「あまりライブをされませんが、何か理由があるんですか?」というような質問に対して、「素の姿で歌うのが恥ずかしい。お芝居だと平気だけど。だから今回もMUSICALOIDのコンセプトがあるからみんなの前で歌える」と言ったような返答をしていて、あれだけの大舞台で座長として堂々と歌っている方なのに、控えめで謙虚で、どこまでも役者なのだと思ったことを覚えている。

コロナ前ではさやちゃんは、出待ちに対する神対応でも有名で、さやちゃんファンがずらっと並ぶ中、全員に対応をしており、その優しさと愛情深さに驚いた。
「キューティーブロンド」のエルウッズの相方、チワワのブルーザーとは、舞台で共演(?)したチワワを、公演後さやちゃんが引き取り、エルとブルーザーと同じように、さやちゃんとさやちゃんのブルーザーは一緒に暮らしていた。これも愛情深いさやちゃんらしい出来事だと思った。

真面目で、サービス精神旺盛で、ファンは勿論、演技や歌、自分の好きなものをとても大切にしている印象があった。女の子をこよなく愛していたさやちゃんは、やはり沢山の女の子に愛されているように見えた。私もさやちゃんの愛情を受けたファンの一人で、私はさやちゃんの歌声にいつも元気をもらっていた。
MUSICALOIDのアルバムを狂うほど聴き、IDOLY PRIDEの楽曲も大好きだった(「First Step」の動画を初めて観たときは最高アイドルすぎて泣いた)(長瀬麻奈CV神田沙也加に「夜に駆ける」を歌わせた人は天才)。マイフェアレディやキューティブロンドは海外作品で円盤もCDもないので、FNS歌謡祭出演時の録画を何回も観ていた。(キューティブロンドの円盤が心から欲しい。CDだけでも良い)さやちゃんの歌からしか得られないパワーや幸福があった。

来年公演予定のミュージカル「銀河鉄道999」のチケットも取っていた。誰しもが知っているヒロインのメーテルを神田沙也加が演じるミュージカルが最高でないはずがない。素晴らしい歌声を持つ好きな俳優さんもキャスティングされていており、好きなミュージカル役者二人が一緒に歌うところを見ることが出来るかもしれないと楽しみにしていた。メーテルのさやちゃんの歌はどんな歌なのだろうか?アニメ銀河鉄道999を観てから、観劇に臨んだ方が良いだろうか?と考えたりして、楽しみで仕方なかった。でも、もうそれは永遠に叶わなくなってしまった。

大好きな女の子が亡くなった。
深夜にツイッターを見ていて、重体であるというニュースから、急死というニュースになるまでの過程を見ていた。重体であるというニュースを見て、驚いて混乱しているのに最初は衝撃的過ぎて何も考えらなかったが、どこか楽観的に考えてしまい、死ぬという発想が浮かばなかった。後遺症が残りませんように、なんて甘いことを考えてしまっていた。死んでしまうかもしれないという報道なのに、死んでしまうなんて考えもしなかった。死ぬことがないなんて私の願望でしかなかったのだ。生きてくれるであろうということを疑わなかった。それは全部ただの願望でしかなかったのだと、たった数十分後に実感した。

さやちゃんの死の真相を私が知ることは出来ないし、その必要はないと思う。ただ神田沙也加ちゃんが亡くなったということだけが事実だ。私のプリンセスはもういなくなってしまった。私に沢山の幸せをくれた歌を生で聴くことは、もう永遠に出来ない。それだけが事実として今ある。本人の心中を想像することは出来ないし、想像することすら冒涜に思えてしまう。でも、さやちゃんの音楽を聴いてみると、自分でも驚くほど泣けてきた。もうさやちゃんの歌う姿を観ることも、歌声を生で聴くことも出来ないのかと思うと悲しくて、寂しくて堪らない。
それに、これからさやちゃんのお芝居を観たこともないような人達が憶測だけで原因や真相を物知り顔で語るのかと思うと、つらくなってしまう。もう反論することが出来ない人の尊厳を踏みにじるようなことだけは絶対にないように祈りたい。

さやちゃんの幸せを私が決めることは出来ないが、私は間違いなくさやちゃんのおかげで幸せな時間を貰っていた。
本人の心中や、状況の真相を知ることは私には出来ない。さやちゃん以外は知り得ないことを想像することすら無粋な気がした。ただ、さやちゃんの歌を生で聴くことはもう出来ないという事実だけが今ある。もうさやちゃんのお芝居を観ることも出来ない。その悲しさと寂しさだけでもう十分だ。それ以上の憶測をすることは私には出来ない。

優しいさやちゃんが公に向けて言葉にしなかったことを、他者が勝手に公開することや、他者が勝手に推測して、もう反論できない人の尊厳を踏み躙るようなことだけはないことを祈るしかない。さやちゃんの心はさやちゃんだけのものだ。家族や親しい人間だとしても、それを勝手に語るべきではないと思う。

さやちゃんの話題になると、必ずご家族の話題が出てくるが、私にとって神田沙也加は、声優・歌手・女優の神田沙也加で、有名人の娘ではなく、神田沙也加の両親が有名人らしいという印象しかなかった。自分が大好きなディズニープリンセスの役を得ることが出来たことも、実写化不可能と言われていた人気ゲームの超人気キャラクターを完璧に演じたのも、沢山のミュージカルに出演していたのも、全てさやちゃんの努力と能力があってこそだ。さやちゃんの色々な活躍を知ることなく、有名人の娘が亡くなったという話題として、憶測だけで、本人やご家族の心が踏み荒らされることがないことを切に願っている。

当日のツイッターのトレンド1位はずっと神田沙也加だった。それを見ながら、好きでもない人達が騒いでいるのは嫌だなと思う自分もいた。
でも、トレンドからツイートを見てみると、「ソードアートオンラインで神田沙也加さんを知って、キャラクターが大好きだったから悲しい」「新規のボイスはもう取れないけど、IDOLY PRIDEの長瀬麻奈の声は神田沙也加から変えないで欲しい」と、他にもいろんなきっかけで神田沙也加を知り、その死を悼む言葉があった。
私の友人も「熱心に応援ファンしていたわけではなかったけど、神田沙也加さんの歌が無性に聴きたくて、動画を見る時間が日常に確かにあった。中毒性のあるうまさだった」と言っていて、それを見て、私と神田沙也加の間に一方的ではあったとしても思い出があるように、誰かと神田沙也加の間にもそれぞれに思い出があるのだと実感した。
ファンだけのアーティスト・役者ではない。ファンである私だけの神田沙也加ではない。トレンド1位は、神田沙也加が、ファン以外の人達からも認知され、愛されていた証拠なのだと思った。さやちゃんは有名人の娘として認知されているのではなく、神田沙也加の存在や演技、歌が多くの人に愛されていたのだと思えた。

美しく可憐で、歌が上手いことを広く国民に認知されている存在なんて、まさしくプリンセスのようだと思った。私がステージで観るさやちゃんは、いつも美しいドレスを着て、幸せそうに歌を歌っていた。その歌を聴いて、観客は笑顔になり、感動して涙を流す。さやちゃんの天使のような歌はいつも誰の心を震わせていた。やっぱりさやちゃんは天使の歌声を持つプリンセスだったのだ。

さやちゃんの歌をもう聴くことが出来ないと思うと寂しくて堪らない。あの多幸感溢れる歌声が会場全部を包み込み、誰もが心を震わせる瞬間を体感出来ないなんて信じられない。でも、神田沙也加の歌はこれからも存在し続ける。私はさやちゃんの歌をふと聴きたくなった時に聴いて、感動して涙を流すと思う。今はまだそれが感動だけではなく、寂しさと悲しさが優ってしまうし、それが完全に消える日が来るとは思えない。それでも、私は神田沙也加の歌を聴きたくて、泣きながらでも聴くのだと思う。
神田沙也加の歌は私の人生に不可欠なもので、それはこれからも変わらない。FNS歌謡祭のキューティーブロンドの「リガリーブロンド」を聴いてかっこよすぎて泣くし、マイフェアレディの「だったらいいな」を何度も聴いて可憐すぎて泣くし、「林檎売りの泡沫少女」を聴いて幸福感に包まれて泣くと思う。そのたびに、神田沙也加がいない寂しさに浸るのではなく、神田沙也加の歌に出会えたことに感謝をするのだと思う。可憐な女性であり、女の子のヒーローであり、私のプリンセスだった神田沙也加に出会えて良かった。さやちゃんの歌に心を震わせられる感性を持っていて良かった。さやちゃんが幸せそうに歌う姿を観ることが出来て良かった。神田沙也加の歌に救われて幸せだった。

数日前、さやちゃんファンの妹と話している時に、私がふと「天国にいってて欲しいな」と言うと、妹は「帰るだけだから天国に決まってる」と言った。「確かに天使だもんね」「天使だもん」と会話をした。こういう会話が出来る人が周りにいて良かったと心底思った。人がいなくなって、残るのは周囲の人間の悲しみだと思う。いなくなった人のいなくなった理由も、周囲の人間の悲しみを和らげるために必要なものなのかもしれない。だとしたら、私と妹の中では、さやちゃんは帰ったんだ、という理由で十分だと思った。

さやちゃんの存在や、歌に元気を貰い、救われていたのは、きっと私だけではない。多くの人が神田沙也加の歌にしかないものを受け止め、感動し、元気を貰っていたのだと思う。アーティストやアイドルのような側面もあったが、アーティストやアイドルと括るのもしっくりこないし、役者ではあるがそれだけの活動では留まらない存在だった。私の中ではやはり神田沙也加は天使の歌声で人を元気にする美しいプリンセスだったのだ。さやちゃんに出会えて本当に良かった。さやちゃんの歌に元気を貰えて、心を震わせて貰って幸せだった。まだ寂しさや悲しさは消えないが、いつものようにさやちゃんの歌を聴いて涙を流して、そのあとに元気をもらおうと思う。私は今までもこれからも神田沙也加ちゃんが大好きです。


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