新たなる支配者ってそれのことだったのか。

 『ジュラシックワールド/新たなる支配者』を観てきた。
 結論から言うと、拍子抜けの作品であった。
 イスラ・ヌブラルに閉じ込められていた恐竜たちが世界へと解き放たれたうえで「新たなる支配者」というサブタイトルをつけるからには、恐竜による現生生態系への影響や、恐竜の脅威に対する人類の奮闘のようなものが描かれるのではないかと私は予想していた。現生生物とニッチの重複する恐竜はたくさんいるだろうし、巨大な雷竜なら歩いただけで甚大な農業被害が出るだろう。もちろん、大型肉食恐竜による家畜、人間への被害も無視できなくなるはずだ。そのような脅威を前に、人類はどのような選択をするのか。そういう物語を期待していた。
 しかし、残念ながら、そのような要素は、作中にほとんど描かれなかった。冒頭で、モササウルスによる漁業被害の様子が描写された程度。その代わりに描かれたのは、インジェンから恐竜の管理権を引き継いだ大企業バイオシン(長年の野望が叶ってよかったね)と、オーウェンたち「主人公組」との人間同士の内輪揉めであった。
 作中でもっとも大きな脅威として登場したのは、バイオシンが遺伝子操作によって作り出した巨大なバッタ(作中では「イナゴ」と呼ばれていたが、あんなふうに群飛して作物を襲うようなやつはバッタだ)。このバッタがバイオシンが開発した品種以外の作物を根こそぎ食べ尽くしてしまうため、バイオシンによる食糧支配、社会不安の増大につながるとして、旧主人公組のエリーとアランが調査に乗り出すことになる。さらに、遺伝子操作の精度を上げるための研究素材としてブルーの子どもとメイジーがバイオシンに拉致されてしまったので、彼女ら(ブルーは単為生殖で出産したので、子どもも必然的に雌)を救い出すために新主人公組のクレアとオーウェンが奔走をはじめる。最初から最後まで、人間同士の「善と悪」の対立構造で物語が動くのだ。
 肝心の恐竜たちは、ほとんどその争いの添え物としてしか登場しなかった。それどころか、人馬に追われて管理区へ追い返されたり、違法な養殖業者によって劣悪な環境で監禁されていたり、そこから「人の手によって」救い出されたり、人間の命令のもと敵対する人間を襲う「兵器」に成り下がっていたりと、くっきり「人間より弱い」存在として扱われていた。生態系を改変し人類の存亡を危うくするような脅威としては、まったく描かれていなかった。
 ジュラシックパークシリーズの完結編がどんなメッセージを提示するのかとわくわくしながら映画館へ足を運んだ私は、これを観てすっかり脱力してしまった。世界中に散らばった恐竜は放置されたまま。人を襲うかもしれないブルーとその子どもの危険性についても触れられないまま。悪徳企業の企てが失敗したので大団円。恐竜を「管理できる」とたかをくくるような人間の傲慢に警鐘を鳴らしたはずの『ジュラシックパーク』のメッセージは、いったいどこへ行ったんだ。ああいや、イアンが口にしてはいたね。でも、作品の骨組みには、まったく反映されていなかった。「新たなる支配者」ってバイオシン社のことだったんだ。恐竜じゃなくて。
 そこでつまずいてしまったので、過去作ファンへの目配せのような描写(イアンがギガノトサウルスを松明で追っ払うことに“成功”するとか、ドジスンがネドリーと同じくディロフォサウルスに襲われて死亡するとか)もくどいとしか感じられず、『ジュラシックワールド』で感じたような高揚感は得られなかった。
 私の2時間は、完全に不完全燃焼で終わってしまった。
 『ジュラシックパーク3』以降、エンタメに走って中弛みするのはしかたないとは受け入れてはいた。けれど、今回は『ジュラシックワールド』と銘打って仕切り直した新シリーズの、「完結編」だと謳っているのだ。今作くらいは、もっと(小ネタ以外で)原作に立ち返ってもよかったのではないだろうかと思っている。

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