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心の声、漏らしまくりも悪くない

ドラマに影響されまくる、フリーライターのaoikaraです。

アメリカドラマの『LOST』を見ていたときは、洋画っぽいような吹き替えっぽいようなしゃべり方になって、「absolutely」ばっかり言って眉を動かしまくってた。

恋愛ドラマの『逃げ恥』を見ていたときは、恋ダンスを覚えて、ガッキーに恋してた。ムズキュン。

いや、全体的にどないやねん。


つい最近見ていたのは、アマゾンプライムの『Fleabag(フリーバッグ)』という、イギリスのコメディドラマ。海外ドラマだし、文化が違う国のコメディを理解するのが難しいかもしれないなあ、と思っていたけど声に出して笑ってた。

ただ面白いだけじゃない。登場人物たちはずさずさ刺さってくるパンチラインをめちゃくちゃかますし、直視できないくらい心をすり減らしてしまう場面もある。感情がいろんな方向に振り回される。

俳優さんたちの表情が本当に絶妙で、演じている姿じゃなくて、その人そのものを見ているようなくらいの気持ちになって、見ている私まで感情がいっぱいになってしまった。

主人公の女性と、それから登場人物たちの心の叫びは、私にも重なる部分があって、心がヒリヒリとした。刺さるってより、くすぐったいところをくすぐられるでもなく、ずっとなでられているような感覚。見透かされているみたいでドキリともした。

金曜日から見始めて、日曜日の夜には一気に見終えてしまって、まだ余韻に浸ってる。


主人公の女性とは、よく目が合う。誰が?私が。違う、物語に入り込みすぎてるわけじゃない。実際、彼女は視聴者と目を合わせて、語りかけてくる。目線と、表情と、言葉で。古畑任三郎みたいな感じ。

彼女の心の声が漏れまくってる。そこがまた面白い。的を射てるときもあれば、全然予想外の方向性に行くこともある。誰しもの心の声と同じ。全てを見透かしているわけじゃない。ただ経験と勘から、答えに近いものを導き出せるだけ。


ドラマを見終えて、まだ余韻に浸っているから、今回もまた影響されてる。文体も、ちょっと寄ってる。

そして、私の心の声、漏れまくってる。“誰か”に今の自分の心の内を明かすような目線で、こっそりと表情を作って、はっきりとした言葉を吐いている。心の中で。

誰かと会話しているときにも、ボヤキのようにぼそっと心の声を言ってしまっている。


逆にいえば、私ってこんな心の内を隠していたんだって気づきもある。

感情は難しい。自分の中にある状態でも取扱注意で、いざ自分の外に出そうとすると、相手がいるわけだから言葉選びや態度には気を遣う。

伝えようとすると回りくどくて、まどろっこしくて、つまりそれはこういうことって言葉にするまで時間がかかるし、時間がかかった結果伝わらないってこともある。

それは私の心の内を結局は明かせていないから。明かしたくないから?自分でもよくわかってない。わからない、自分の感情がわからない。

もっとシンプルに。

もっと素直に。

はっきりと言い切れば、きっととても単純な気持ちなのに。

ぽろっとこぼれる自分の心の内の言葉のシンプルさを見て、いつもどれだけ自分の心の内で複雑にしているんだろうと気づく。


私が目線を送る“誰か”が、誰にも見られない“自分”だとしたら、本当の姿や、本当の言葉を見せられるかもしれない。きっと私もわかりやすく、相手にもわかりやすい、本当の姿で、本当の言葉。

もっと素直に。もっとシンプルに。本心が行方不明にならないように。

心の声は、もっともっと漏らしちゃっていいのかも。

3月29日(月)

No.827

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