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No.494 頭の中もステイホームな私の文

私が書くnoteは、だいたいが私の内面のことで、“気持ち”とか“思い”とか“感情”を書いていることが多い。抽象的なものを、言葉として見える形にしてる。でも、なんだか輪郭がなくてぼんやりとしているなと感じるときがある。

私が読み手になって、「面白いな」「うまいな」「読みたいな」と思う人の文章には輪郭がある。はっきりと見えるから、読みやすい。

違いは何なのかなと考えてみたら、たぶん私は描写が足りないんじゃないかという答えに行き着いた。

文章が面白い人は、描写から光景が見えてきて、文章にリアリティがある。人とか物とか、私が知らなくてもなんだか見えてくる。

と、ある小説を読んでいた“見える”現象が起きて、「私の文章にはないな」って気づいたら、その先を読めなくなってしまった。「あ、これ自分の文章の反省ばかりしながら読むことになるぞ」って、逃げちゃった。

私は心理描写はよく書くけど、目から見えた外見的な描写がほぼない。見たものをそのまま書くのではなく、一度頭の中で考えて文章を構築してからnoteに書いている。だから輪郭がぼんやりとする。頭の中が文章翻訳機になっちゃってる。本当は“見えているもの”があったはずなのに。

って書いている全部が頭の中のことなんだよね。1mmも外に出ていない。私は頭の中でもステイホームしているのかな。

ただ今目に見えるものと言ったら、散乱している本やら書類やらカバンやら…あらららら。とても描写したいような光景じゃない。

自分が見せたくないものを切り取った結果、頭の中だけで完結した文章を書いているのか。となると、逆に自分の頭の中は人に見せたい自信があるってことになって、それはそれで恥ずかしいな。

とはいえやっぱり“見えてくる”文章には憧れるので、描写する練習はしたいな。内向的な私は頭の中もステイホームだけど、物理的にステイホームで外交的になる方法を考えよう。

2020年4月26日(日)

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