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無自覚ないいとこ取り

無自覚ないいとこ取りをされて、もやもやとしている、フリーライターのaoikaraです。

たとえ話をする。Aという人が、自分から「この作業をする」と決めた。その作業にはメリットもデメリットもある。しかし、Aは突然作業をやめてしまった。だけど誰かがやらなければならない。

だからBが作業を受け継ぐことになった。自分で「やりたい」と始めたわけでもないのに。時間の経過とともに作業の内容は変わってくるから、試行錯誤が必要になる。

さらにAがやるべきことをやらなかったせいで、デメリットが増えて、メリットが減っていく。終わりはいつかわからない。

それなのにAは「自分が始めた作業だから、メリットだけちょうだい」と要求する。私が抱いているもやもやは、今Bのような状態にあるからだ。


デメリットは背負わない、メリットだけを要求することを、いいとこ取りという。自分がデメリットを背負わないせいで、誰かが肩代わりしているのに気づいていない。だから、無自覚ないいとこ取りができてしまう。

Aは世間話のように、つまりは他人事のように「作業はどうなってる?」と尋ねてくることがあるから、デメリットについて伝える。そうすると、「大変だね」と返事が来る。他人事だから、そのあとすぐに「メリットちょうだい」と言えるのだ。

でも、解決したいわけではないから、ただただもやもやとしている。


もやもやとしているけど、はたして、私は無自覚ないいとこ取りをしていないのだろうか。

たとえばテレビなんて、放送されているのはいいとこ取りの最たるもので。番組に携わっている全ての人が、大変な作業を繰り返しながら、いるものといらないものとに分けて、いるものをわかりやすくする中でまたいらないものがあって、そこから“いいとこ”だけを取り出して見せてくれている。

この場合の“いいこと”とは善悪とかモラルとかではなくて、番組のテーマとしてベストなもの、という“いいこと”を指す。

過酷なロケをやっている人を見て、「いやぁ、本当に大変そうだ」なんて言うけれど、放送されているのは延々と続いていた過酷のごくわずか一部。その一部を見ただけで「大変そう」だと思っても、全てを知れるわけではない。他人事として見て、エンターテイメントとして消化しているのだから、見ている側はいいとこ取りをしている。


なんだったらコーヒーなんかいいとこ取りだ。インスタントコーヒーなんていいとこ取りのかたまりだ。コーヒー豆を挽くのが面倒なのに、いやそもそもコーヒー豆がどう作られるかも知らないけど、粉にお湯を入れてくつろげるんだから、なんてまあいいとこ取りなんだろう。

そう考えると、この世の中はいいとこ取りだらけなんだろう。効率的とも呼ばれるかもしれない。社会でいかにいいとこ取りをしていくかが追求されているのだとしたら、私がいいとこ取りをされている人は、社会で生きていく上ではあたりまえの姿なのかもしれない。

そして私も、きっと、無自覚にいいとこ取りをしている。だって無自覚だから。私が抱いたもやもやは、誰かに抱かせているもやもやだ。


とまあ、もやもやを解消するわけではないけれど、想像することで受け入れている。自分がもやもやすることなのだから、自分がしていると気づいたときには、想像をして、全てを想像できないとも自覚して、思いを受け止めていかないと。

2022年9月29日(木)

No.1364

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