熱の幻

熱を出すと、「あぁそういえばこうだったな」と思う。

コトコトと煮込まれているような体温に、全身がちょっと自分のものではなくなっている。
指先はまるでドロリと溶けてしまいそうだ。

まつげがピリピリ揺れる。瞳が前ピンになっていてよく見えない。
幼稚園生のときの熱と、今の身体の熱は、きっと同じ膨らみ方をしている。

幼稚園の頃の私は、とかく風邪を引きやすくて頻繁に休んだ。
しかも全然治りが良くなく一週間欠席などざらだった。

寝込むこと自体には慣れていたけど、ひとつ不得意なことがある。

薄暗くした部屋の中、丸い加湿器がポコリポコリと音を立てている。
加湿器にはオレンジ色のライトが入っていて、つるりとした給水タンクは月のようにボウっと浮かび上がっていた。

緑の毛布の中で、幼稚園生の私が寝返りをうつ。
そうすると、じんわり心が遠のいて、私は古びた紙のような色をした空間にたどり着く。

そこはどこまでも遠く続く海で、茶色のインクで描かれた水平線は遠くで薄く透けている。
真ん中にはパンケーキのような薄い島が浮かんでいて、三角屋根の平屋がある。

それを私は遠くから見ている。

平屋横には庭用の白い椅子と机がある。
そこに私が座っている。紅茶を飲んでいるみたいだ。
平屋からポニーテールをしたお母さんが出てくる。
紅茶のお代わりを持ってきたみたい…

海に浮かんで景色を見ていた私は、一瞬でそれが奪われたことに気がつく。
紅茶だけじゃない。全部奪われた。
視界の全てを、身体を含めて全部を奪われた。
自分の力ではどうにもならない。
大きなタイヤがいくつも自分に向かっていて、全身が踏み潰されている。
タイヤは回転している。手足はもうない。ただあるのは逃げられない苦痛だけ…

そうしてはっと畳の上に戻ってくる。

薄暗くした部屋の中、丸い加湿器がポコリポコリと音を立てている。
加湿器にはオレンジ色のライトが入っていて、つるりとした給水タンクは月のようにボウっと浮かび上がっている。

重く苦しい心臓が、ばっくんばっくんと言っているのがわかる。
手足はしびれ、全身がじんわりと傷んでいる。

額に浮かんだ汗を拭って、引き戸をあけてお母さんに会いに行かないと…

熱を出すといつも同じものを見る。
身体は戦っている。
指先が蕩けてしまうぐらい熱いのは、全部を奪われないようにするためだと思う。
これが怖くて怖くて、布団の上でひとりでいるのを必死で気づかれないようにしたいと小さくなる。

大人になっても、怖いものは怖いんだな…

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