就職すらまともにできない奴

世の中はまともに仕事できる人で溢れている。みんなちゃんと働いて、家族を養い家を買い車を買う。そして子どもを産み、育て、学校に入れる。

親は大抵自分の生活を成功例だと思っているから、自分のように正社員になってしっかり働き暮らすことがこの世でもっとも幸せな方法だと子どもに教えこむ。

それで、大学なんか出してもらっちゃうと周りもそう思っている人ばかりになる。大学は就職率をあげようと急かしてくるし、親は将来を憂いて心配しだすし、友達はどんどん内定を貰ってくる。そうすると、内定を貰えずお祈りばかりされる人がどうなるかっていうと、

「就職活動すらまともにできない自分なんか、人間として失格なんじゃないか」

なんて思い始める。みんなの言う「まともな生活」はもうできないんじゃないか。人生もう全部下り坂。みんなに失望され見下され自分自身も肯定感を持てることなく、出資し続けてくれた両親に申し訳ないと謝りながら苦しんで死ぬだけ。そんな気がしてくる。

もちろん、この世には就職活動なんかしなくたって沢山の選択肢がある。バイトしながら資格を取って一発逆転を狙ってもいいし、起業したっていいし、物価の低い国に引っ越したっていい。でもそういった選択肢が色褪せて見えるのが、「まともな生活」を理想と教え込まれた人の頭の中だと思う。

私は「まともな生活」を教え込まれて来たタイプの人間だ。就職活動すらまともにできない自分が情けなくて申し訳なくて、毎日死にたくなる。いつも心が折れていて、お祈りの恐怖に怯えている。涙が出ても笑顔を作り続けているから、自分の気持ちがわからなくなったまま布団に入る。

このまま駄目だったら最悪死のう。海に身を投げれば苦しいだろうけど死ねるもんな…

でもそのたびに就職活動なんかしないで楽しく生きてる50代の友人を思い出す。沢山のバイトを梯子して、色んな技術を身に着けてきた。ひとつひとつの技術は高いレベルではないのかもしれないけど、山ほどいる友人たちに引っ張りだこで色んな仕事を頼まれて暮らしている。ちょっと壊れた機械の修理。カタログの商品撮影。ビルのワンフロアまるまるの企画。舞台の脚本。なんでも、本当になんでもやる。

積み重ねてきたものは嘘じゃない。就職以外でだって色んな技術や知恵をつけられる。それを上手く組み合わせて生きていく方法だってある。そうやって生きてる友達が身近にいる。そいつはこんなに楽しそうだ、私もそうやって面白く生きたっていい。色褪せて見えた選択肢がちょっと現実味を帯びてくる。そうか、まだ死ななくていいな。

いじめられてた子が死んじゃうのは、学校と家庭以外の世界がないから。そこに認められなくたって別の世界に行けばいいだけだってことを知らないから。就活で死んじゃう私みたいな人たちも一緒だと思う。「まともな生活」しか認めないだけが世界じゃない。もっと自由に生きてても楽しいこともある。最悪ボロクソ言われてもいいじゃん。確かに期待に応えられなくて申し訳なくて仕方ないけど、そのリスクを背負って私を産んだのは親でしょう。頑張ったけど期待に応えられないならもう自分に課せられた責任は果たしていると思ってもいいんじゃないかしら。なんて。

たった一回の失敗で人生を破綻させる(と思い込ませる)ようなシステムに、命まで取られてしまわないように。布団の上で毎晩思い出す、「就職活動すらまともにできない奴でも、楽しく生きられる場所はある。」

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