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十二月中旬(取材旅行の前日まで)

3087文字・30mim



十二月十二日(火)

一時、三時に起きた。九時に起きて十時に作業開始するが集中力も握力もない。二階の洋間にあるマンガ本や辞書類を時間をかけて結える。玄関のチャイムが鳴る。古物商の営業だった。明日トラックでくる約束を。マンガ本の物量はないのに終わったのが十四時四十七分。外は曇りだ。部屋も肌寒い。夕暮れ前に散歩にでる。公園でイチョウの切り株を見る。寂しそうだ。北風がつよい。ぐんま特有の赤城おろしだ。冷たい。家に帰って猫とあそぶ。ひさしぶりだ。はしゃぐ猫。床にぐったり。それからうんち。また階下の廊下をはしりまわる。夕飯は鰤とほうれん草のバター炒め。ほうれん草が甘くて美味しい。夜に軽トラック一杯に燃えるゴミの袋を乗せて町内のゴミ集積場へ。

十二月十三日(火)

午前十時に古美術商が来る。査定開始。二階の屋根裏の物をぜんぶだす。腐った靴棚を階下に下ろす。介護ベッド用の補助テーブルを二脚発見。見栄えはともかく読書やベッド上の執筆に最適だ。組み立てる。査定は合計五千円プラス。万年筆の先(十四金)や祖母の二十四金の指輪がでただけ。自分が大事にしているものと売れるものは別だ。換金したお金は灯油代に。灯油を買いに行く。三十六リットルで三九二四円。元の家の田畑をみる。トラクターの形跡。だれがこの田畑を買ったのだろうか? 今日は空気が澄んで赤城山がきれいだ。夕飯は豚の生姜焼きとカリフラワーのサラダ。九時前に寝る。深夜に起きて補助テーブルで日記と読書。使い勝手は良い。

十二月十四日(木)

目標は今日から執筆業務にもどす。午前は散歩。百均に寄って箒と塵取りをかう。午後一時に家に帰る。プロットを書きはじめるがやめ、昨日の介護ベッド用の補助テーブルの角とりをする。パソコンや読書で肘があたって痛いのだ。彫刻刀で削って紙やすりで均す。シャワーを浴びる。十四時半に小説「(仮)家族の血」企画書作りに入る。プロットのストーリーラインが複雑すぎるかも。家族(家系)の血(筋)、サーガ(家系図)はむずかしい。ガルシア=マルケスや中上健次のように「文体そのものの売り」や「読者が読んで面白い=需要」が必須。「ダメな奴はやっぱダメ」「弱者を軽蔑する目」どこの視点から描くか。猫は作業中となりですやすやと寝ていた。十九時半に休憩。母は絵手紙教室に行っている。ひとりで夕食。とん汁だ。昨日の生野菜も。


十二月十五日(金)

朝六時目覚ましで起きる。寒い。石油ファンヒーターと加湿器をつけて読書。十時にロードバイクで郵便局へ。帰ってダイニングにいると外で男の大声が聞こえる。歳暮をもつ郵便局員だった。田舎の配達に辟易する。「次はドアフォンを押してくれ」と頼む。食事後十三時半。うとうと。寝室で猫と寝る。十五時十五分に起きて執筆。中編小説のあらすじを六百文字にまとめる作業を零時まで。あらすじの完成度が高いとそれだけで腕が上がった気がする。母に不満のLINEを書いた。だが送信はしなかった。以下の文章。

■僕が書いた小説「上陸者たち」をテーブルにずっと放置していることについて。

こんばんは。僕が書いた小説は読みましたか? 小説の感想は個人の嗜好なのでそれはともかく。ここ数日、小説がテーブルに放置してありました。それが気になります。十二月一日に母に渡しました。半月が経ちます。今月は母とともに家の大掃除それらの断捨離をしました。母から感謝をもらうことはぼくの喜びです。が、ぼくが最も悲しいことは、ぼくが小説家になろうと腹に決めて、結果として十年を費やして書きあがった最初の小説を放置してあったことです。母には人の心を蔑ろにする癖があります。以前、祖母が死んで間もないときに、祖母の遺影(スナップ写真)に自分の絵手紙を被せていました。ぼくはそれを注意しました。その写真が祖父の遺影であれば、母はその遺影に絵手紙を被せる行為はしなかったでしょうか? 「上陸者たち」はパニック小説です。大衆ウケするような青春小説やラブコメ小説などとは対極にある小説作品です。ぼくの作家の師匠はぼくにいつもこう言いました。「村上春樹も檀一雄もやなせたかしもみなおなじ作家だ。だれが優れている作家とかはいない」それぞれの作家にファンがいる。それだけです。作家の先生がぼくの作品の内容に一切口を挟まないのはそういうぼくの作家性を尊重して、敬意の顕れでした。「大澤君の文章はなかなかいいよ。私には書けない文章だ」褒めてくれました。ですが、母をふくめたぼくの知り合いはみな「大澤くんの小説は、私の知り合いには読ませるには恥ずかしい」と紹介をしたがりません。それは、ぼくあるいはぼくの作品への「軽蔑」の裏返しです。もし、母の独断で、ぼくが書いた小説「上陸者たち」の内容が恥ずかしくて清水さんや中澤さんに読ませたくない。そう思うのならば、ぼくに直接言ってください。他のかたに読んでもらいます。自分の出世の最大の敵が身内にいるなんて悲しいことです。

ミルクティーを作って飲む。猫が一緒に寝てくれと頭をぶつけてくる。迷う。読書に切り替えることに。

十二月十六日(土)

布団からでた。十一時。メモ紙をみる。「書簡形式」六年前に断念した構想だ。怖いが書くに値する。庭の土が濡れている。夜か朝に雨が降ったか。午後に日が射した。その隙に座敷に堆くなった燃えないゴミ袋を庭のブルーシートに移す。縁側の外を箒で掃く。ガソリンの携帯タンクを発見。軽トラで郵便局にでるついでに道路の端でセルフ給油。百均によって帰る。疲れがとれない。夜、玄関にAmazonの置き配が。「猫の砂」とヴォガネットの「タイタンの妖女」と「猫の出入り扉」。明日はDIYだ。やれやれだ。一日にできることは限られる。残りの人生で本はあと何冊よめるか? 年に何冊よめるか? 生涯で自分の満足のいく作品はあといくつ書けるか? 老いが止まらない。猫が足にぶつかってくる。膝に抱くと重い。猫は猛スピードで成長する。

十二月十七日(日)

昨晩は遅くに母からのラインに気づき石油ファンヒーターの故障を直した。「E4」の表示。検索して裏側のファンを外してほこりを取る。直った。それから何を思ったか家の洋間のドアの蝶番いに油をさしてまわった。腰が痛いが妙なテンションだった。今朝は六時に起きて少し読書。九時から猫の扉を製作。彫刻刀も使って上出来だ。問題は体力がないのと猫のあまえ。要領よく寝かせねば。赤ん坊がいたら執筆などできない。授乳や赤ん坊のオムツ替えをしながらの執筆は凄すぎる。日常生活を普通に過ごす。凄いことだ。夜、気が狂いそうになって軽トラでドライブする。店内に入ると急に体がふわっと浮いた感じになる。音楽だ。ジャズだ。渇いて硬くなったスポンジに水が染みこんでいくようだ。ジャズを聴きながらヴォガネットジュニアの「タイタンの妖女」を読む。音楽は人生には必要だ。ちなみに、かかっていたジャズは、セロニアス・モンクとデイヴ・ブルーベックだった。

十二月十八日(月)

深夜。二年ぶりに復帰したアプリゲー(Sky)をする。青森のフレと再会する。赤ん坊の夜泣きで大変だったシンママは、今や二十六歳に。上は五歳で下は二歳。つまり二年ぶりの再会だ。最近孤独だったので感極まる。一時間ほどあそんでクエストを手伝ってもらった。起きて猫のトイレの砂の入れ替え。昼寝。十五時八分。とつぜん、取材旅行の荷物をまとめはじめる。「取材旅行に必要リスト・改変版」を作成。あとはネカフェ。急遽、夜に取材旅行に出発することに。二日目の素泊まり宿を予約。荷造り。仮眠(猫とごろ寝程度)。二十三時十五分に出発。

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