見出し画像

休憩をケチるな  /ファシリテーション一日一話 4

長時間の会議やワークショップに、休憩はつきものだ。お昼休みやトイレ休憩、おやつ休憩の時間には、実に豊かなものが流れている。観察をしているとよくわかるのだが、われわれファシリテーターが頑張って発言を促し、工夫を凝らして進行している時間より、休憩時間のほうが参加者同士のびのびと交流していたり、コミュニケーションが活発に起きていたりもする。ちょっと力んだファシリテーターの前では出せない本音や感想が交わされているシーンに出くわすと「僕は何を頑張っていたんだろう」と愕然とすることもある。それぐらい、休憩時間は有意義なのだ。

とくに各地から集まった集合研修や全国会議のような場所では、休憩時間こそが醍醐味という場合もある。でも、時間に追われたファシリテーターは「お昼休みの時間を少し短くして、45分後に集合でいいですね」なんて言ってしまい、つい休憩をケチってしまうことがある。

実のところ、休憩をケチるとろくな事がない。休憩中、参加者はトイレをすませ、小腹を満たし、外の空気を吸ったりタバコを吸ったりもできる。集中していたときに起きていたやりとりを振り返ったり、本当は自分はどう感じているのだろう、と内省を深めることもできる。気になっていた他の参加者に声をかけたり、ご挨拶ができて人脈を広げることもできる。実に多様な、豊かな時間を、私たち時間に追われたファシリテーターが制限しているとしたら、ちょっと残念なことだ。

なので僕はよく、休憩からの再開時間を引き延ばしたりする。「じゃあ、午後は13時スタートで」とお昼休みをとったのに、あまりに楽しそうに交流が起きているので 10分ほどニコニコ眺めて、伸ばしていたりもするのだ。ファシリテーターの計らいを超えて、参加者が自発的に交わり、語らいあい、深めあっている時間は本当に有意義だと思う。

逆に、休憩時間にいろいろ詰め込んでしまい失敗をすることも、ままある。「休憩あけに××というテーマで話し合うので、各自、いくつか案を考えておいて下さい」と言って休憩に入ったばっかりに、全員が考え始め、純粋に休憩できるモードでなくなってしまうこともある。「休憩をかねて聞いて下さい。この度××という本を出して、、」と休憩時間に延々と新しく出た本のアピールをしてしまい、皆も関心のある話題だったので誰も休憩できなかったというシーンも見たことがある。

リフレッシュなくして、集中なし。次のワークを、本当によき集中力を持って乗り越えたければ、休憩はケチるな、これを肝に命じたい。

思えば、子どものころも授業中より休憩時間のほうが大好きだった。皆がめいめいに伸びたい方向に伸びている感じもあって、心地よかった。限られた休憩時間にボールで遊んだり、本を貪り読んだり、ドアから黒板消しが落ちてくるようにイタズラしたりしていたあの時間こそが、僕の大事な学校生活だったように思う。皆さんにとって、休憩時間は、どんな時間ですか? 

2024年4月8日(月曜日) 朝@自宅書斎にて

ひとつ前の記事はこちら↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?