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親は老いていく。そしていつかは自分も

明けましておめでとうございます(今ごろ)

もう、仕事もはじまって、年末年始なんてあったかいなという感じの毎日。でも、今年はじめての記事だし、帰省して思ったことを書いてみようと思う。

夫の実家は、高速に乗り車で約4時間。「ちょっと顔出しに…様子見に…」ができる距離ではない。でも昔から、年末年始とGWとお盆には、孫の顔を見せるため帰るようにしている。

うちの子どもは3きょうだい。歳も近いので、一緒にいれば仲良くしてようが喧嘩してようが、本当に騒々しい。
帰省したら毎回、帰るころには、ばあちゃん本当にゲッソリしてた。
だけどみんな年々大きくなり下の子ももう小4、自分のことはたいがい自分でできるし、言動も落ち着いてきた。
そうして現在、じいちゃんは施設に、ばあちゃんは一人暮らしに。
ところが最近、ばあちゃんの様子が徐々におかしくなってきている。夫にケアマネージャーの方から連絡が入った。物忘れが多く、言ったことや買ったものをすぐに忘れてしまうらしい。
”おかしくなってきている”というのは変かもしれない、順調に”老化”しているだけだ。だってもう、80歳をとうに過ぎているのだから。

今回帰省して家に入ったとき、焦げ臭さと生臭さの混じった、何とも言えない臭いが鼻についた。鍋を借りようと探してみたら、焦げ付いた鍋がいくつもある。きっと、鍋にかけたまま、忘れることも多いのだろう。怖い。
「IHに変えようか」と夫に提案してみたが、たとえ使い方を伝えたとしても、使わないと思う、とのこと。そうかもなあ、と思った。これまで何十年と使ってきたものが変わったら、混乱するだけだ。ヘルパーさんにもまた迷惑をかけかねない。

いつのかわからない食べ物が残してあったり、お皿の洗い残しがあったり、トイレが間に合わないのかズボンが少し臭ったり。ほんの少し前まで、自分で全部把握できていたはずのこと。老いるということは、こういった日常の些細なタスクが、できなくなってしまうことだ。できなくなってしまうというより、”気づけなくなって”しまう。

気づけなくなってしまうって、本当に恐ろしいと思った。
できなくてもそれを認識できているなら、誰かに頼むこともできる。でも、気づけないことをどうにかすることはできない。老いってそういうことなんだと、改めて突き付けられた気がした。

誰でも通る道。事故で急死でもしない限り。
でも今それを受け入れることは、私には難しい。
恥ずかしいし、申し訳ないし、消えてしまいたくなる。

そういう感覚も含めて、すべての意識が鈍くなることで、死への準備となり、穏やかに死ねるのかもしれない。いわゆる老人力だ。
だけど・・・私たちが老いる頃、受け皿となる老人施設は今より満杯となるだろう。
もちろん、なるべく自宅で元気に過ごしたい。
そのためには、細くでいいから、できるだけ長く、健康な老人でいられるよう心掛けないといけない。
そして、頭が回るうちに、体が動くうちに、そして”気づけるうちに”、身の回りは最小限にしておかないといけないな、と。

そんなことを心の底で静かにいろいろ考えた、帰省でした。


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