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ドイツで生まれ、生きるということ

Hallo!

昨日の夜、夫の大おじさん(兄なのか弟なのかは不明なのでひらがなで)の誕生日ディナーに誘われて、ごちそうになってきた。
この4年で片手で数えるくらいしか会ったことがないので、私たち夫婦までごちそうになってしまうのはどうなのかと思ったけれど、せっかく誘われたのに断るほうが失礼だということで、行ってきた。


この大おじさんと会うのは、クリスマス以来。
食事をしたのも、その時と同じイタリアンレストランだった。
大おじさんは88歳になったそうで、お隣の席の人にも、「88歳の誕生日なんだ!」とうれしそうに話しかけていた。
私は前回と違うものを食べたのだけど、思いのほか量が多くて途中で気持ち悪くなってきてしまった。大きなお皿にちょこっとだけ乗っていると、どうやら実際より少なく見えてしまうらしい。
私はそんなだったけれど、大おじさんは、ワインにマティーニとお酒は飲むし、食事もしっかり食べた後に、デザートまで食べていた。
そういうのが長生きの秘訣なのかもしれない。


宴もたけなわ、お酒の入った大おじさんは、語りだした。
「敗戦の年、わしは9歳でなぁ、」
から始まったのだけど、それ以降はよく分からなかった。
夫曰く、きっと酔っぱらって楽しくなってしまったんだと思う、とのことだった。
でも私は、敗戦の年に9歳だったということについて考えていた。
敗戦の年が9歳…ということは、もう終戦(日本語だと、敗戦より終戦のほうがしっくりくる)から来年で80年?
これが、私には結構衝撃だった。
現在40歳の私は、終戦から50年の年のこともよく覚えているし、あの頃は戦争経験者、しかも戦争を大人として経験していた人もたくさんいたのに、それからもう30年近く経っているのか。

日本もドイツも、敗戦国という意味では1945年の意味するところは同じかもしれないけれど、そこからの歩みが全然違っている。
大おじさんの生まれた国は、その後二つに分断され、大おじさんは東側で生きることになった。
そして、いわゆる現役時代を終えた頃に、ドイツが再び統一。
日本の場合、戦前か戦後かくらいにしか分けないけれど、ドイツはその後も激動の時代の中にあった。
夫の両親は東ドイツ生まれで、夫もぎりぎり東ドイツ生まれだけど、夫の場合はもう、昭和ぎりぎり生まれに分類される私と同じようなものだと思う。
唯一出生証明書が東ドイツのものであることだけに、夫が東ドイツ生まれであるということを感じるくらいだ。
世代間によって社会が大きく変わったことについてどう思うんだろう、という話をもっとドイツ語が上手だったらいろいろ聞きたかったのだけど、私のドイツ語ではうまく意思疎通ができなかったのがもどかしい。

東ドイツという国がどんな場所だったかについては、今後もっといろいろ知っていきたいな、と思っている。東ドイツをまだしっかりと覚えている世代がいるうちに。
とにかく大おじさん、お誕生日おめでとうございます。









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