12_上質な客

アドボカタス『ジュリの上客』

『送信履歴』毎回読み切りのスピンアウト ~readerのボランティア 12~
ジュリ物語4

ワタシはreader。
読み上げる人。
訳あって、ボランティアでアドボカタスをしているの。
アドボカタスとは代弁する人。
ワタシなりの解釈では代筆ならぬ代述する人なのだけれども。
言いたいのに言えない人、伝えたいのに伝えられない人、届けたいのに届けられない人、そんな人って思いのほか、たくさんいるのよね。
私はそんな言葉にならない言葉を読み上げる。


矢口は、ご主人を待つ犬のように尾を振り懇願の唸り声をあげている。
「ねえ、まだあ?」
隣で田辺が上司の体たらくに込み上げてきた情けなさと落胆を奥歯で噛み締めている。そろそろ2杯目の水割りも底を突く。奥のストゥールに座った客が腰を上げ早々と切り上げると、客は矢口と田辺だけになった。
ジュリが倦怠に落胆を乗せたふだんの顔で田辺に手を差し出すと、グラスの残りを奥歯で噛み締めていたものと共に飲み干し、黙して空になったグラスを手渡した。ジュリの目が「同じくらいの?」と訊いている。無言で、同じくらいの濃さのブラントンを、とうなずきで返す。
「そんなことはいいからさあ」、矢口が焦れて言葉を継いだ。
「はいはい」
そう言いながらもジュリの目は、ビールを1本空けただけで帰った高森を追いかけている。矢口に対して心が「お預け」と言っている。

矢口がバー・ジュリを初めて訪ねたのは3か月ほど前のこと。初回は路地の違う店に誘われるように入店したあと。スリットから突き出された脚線美に翻弄され、前置きなしの勝負で勝ったのだかしてやられたのか納得できずにいたその斜め向かいにバーの文字を見つけ、ふらりとカウベルを鳴らした。

「とんでもなくうらぶれた路地だねえ」
矢口の一声だった。ほかに客はいない。
「いらっしゃい」
ジュリは精気を吐き出したあとの蒸気を見てとって、何をしてきたのか察した。酒はまだ入っていないようだ。不躾な態度が気になったが、そんなことをいちいち気にしていては商売はやっていけない。小太りでツヤのいい顔、上質なジャケットとそれに合わせたパンツ。靴も安物ではないことがわかる。
いいところの役員だろうか?
「何飲むの?」
男はバーのママを舐めるように観察して思った。見た目は若そうなのに熟女の風態のアンバランスがひとつの器に収まりきれずにあふれているようだ、と。そんな女が、うらぶれた路地の消え入りそうなバーで精一杯悪女を演じている。
6つあるストゥールの真ん中に不器用な手つきで腰を降ろし「長いの?」と矢口が尋ねた。
ん? と斜め上に目を飛ばしたジュリが男の言わんとするところを手繰ってから「この路地に馴染むくらいに」と答えた。
そんな回答があったか。おもしろい、と矢口が興味を踏み込ませ、ふうん、と鼻を鳴らしてから「とりあえずビール」、注いでもらってからグラスを追加し、ジュリにも注いだ。
「ボクはね、こういう者なんだ」、矢口が差し出した名刺には、ヨスコ文具株式会社 空間デザイン室 役員待遇 矢口憲一と書かれていた。
「仕事の帰りなんだけど、ちょっと考え事をするのにこのあたりを歩いていたらバーの看板が見えてさ」
バー・ジュリの看板は表通りからは見えない。
「1軒目?」と訊くと「そう」、嘘が見え見え。
「今日はラッキーだなあ、こんな隠れ家的なお店に巡り会えて」、矢口は褒めたが、誰がどう見ても現代的解釈の「隠れ家」が発するクラシカルな現代性を店は持ち合わせていなかった。一応バーの体裁を整えてはいたが、スナック居抜きを前オーナーが改装したもので、ゴールデン街ふうの1軒といえば味があり隠れ家とも取れなくはないが、ジュリは朽ち果てる過渡期の店と捉えていた。いずれは上客が立ち寄りたくなる店を持つ。それがジュリの目標だった。

矢口は2杯目に焼酎のロックを所望したが、矢口の口にする銘柄はことごとく取り扱いのないものばかりだった。
「見ればわかるっしょ」、終いにジュリは矢口を叱り飛ばした。
「だよなあ」
目当ての焼酎がないことに諦めているんだかいないんだか口元をにたりと歪ませたまま矢口が棚に並ぶ酒を見まわし「じゃあこの店でいちばん高いものを」と口にした。
倍づけでいいな、とジュリは決める。数杯飲んで2万円を置いていった。釣りの8000円は「チップ」と言って受け取らなかった。

2回目に来店したのはそれから1週間空けてのことだった。早い時間だったので、ほかに客はいない。チップを利用して、矢口が口にしメモしておいたひとつ、シソ焼酎の鍛高譚(たんたかたん)を1本だけ仕入れておいた。

「お」

客は、自分が特別扱いをされるとご機嫌を上げる。再来は賭けだったが、当たれば効果は大きい。
「仕入れてくれたんだね」と矢口は気持ちを弾ませた。見ていないようで実は目ざとく観察している。入店するなり棚に鍛高譚を見つけて嬉々とする。
だてに役員待遇を名乗っているわけではないのかも、とジュリは少し見直す。
「開けるよ」、ジュリの客に対する特別は徹底していた。矢口が来るまで、封を開けずに待っていた。
矢口のもともと弛んでいる頬がさらに緩んだ。

チップをもらうたびに矢口が所望した新しい焼酎を増やしていった。それが10本に達したころ、矢口はいつものストゥールを引くなり、デザインの意見を聞かせてほしいと、ジュリを隣のストゥールに腰掛けるよう促した。
いつもなら、こんなことはしない。酔いにまかせなければ女の腰に手をまわすことさえできない矢口が大胆にもシラフでジュリを誘ったのも「特別扱い」されていることに気をよくしていたからだった。
ジュリにしてみれば、金払いのいい客は、つなぎとめておきたい上客。

横並びで酒を飲んだ。
「このお店、いいよなあ。気に入ったよ。いや。今日思ったことではないんだけどね」、そう口にした矢口が「だから今日もチップを弾ませてもらうよ」と続けた。

矢口から仕事の相談は出なかった。代わりにいかに自分がヨスコ文具で重要な役割を担っているか、どれだけの会社に貢献しているかをとくと自慢してみせた。

上客には2種類ある。生まれと育ちがにじむ天性の品格か、金離れのよさか。両者は交錯することもあるにはあるが、どちらか一方が抜きん出ているのであれば、矢口は考える余地もなく後者にあたる。

ジュリは話を聞きながら、矢口の膝に手を添えた。
矢口は勘違い甚だしいがそれを赦す大企業の役職という土壌がバックボーンにある。ジュリの夢と矢口の夢にわずかな接点があってもいい、ジュリはそう思っている。
だけど、とジュリはなぜだかしっくりこないものを抱えている。すっきり晴れない霞がかかったようで気持ち悪い。

将来ぜったいに手に入れる一流のバー、その店の客は天性の品格を持ち合わせた上客であってほしい。でも、今のうらぶれた路地の店に望むのは金離れのいい客? 仕方ないじゃない。
この店は……。

readerがジュリの心を読んだ。
誰もはじいてはいけない。人は誰からもはじかれていけない。はじかれることがあって、ぼろぼろに傷ついても、ここにくればほっと息をつき元気になれる、そういう場として始めた店じゃないか。

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欲と夢とが混ざり合うことなく衝突し、摩擦熱で湯気をあげている。それがジュリの霞の正体だった。

この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。