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アドボカタス『寡黙に飲む客』

『送信履歴』毎回読み切りのスピンアウト ~readerのボランティア 11~
ジュリ物語3

ワタシはreader。
読み上げる人。
訳あって、ボランティアでアドボカタスをしているの。
アドボカタスとは代弁する人。
ワタシなりの解釈では代筆ならぬ代述する人なのだけれども。
言いたいのに言えない人、伝えたいのに伝えられない人、届けたいのに届けられない人、そんな人って思いのほか、たくさんいるのよね。
私はそんな言葉にならない言葉を読み上げる。


夜の闇の惑わしにそそのかされて、女にうつつを抜かしてくれていたほうが都合がよかった。上司の矢口が酔いに飲まれて不満を露わにしている。女の手が膝に添えられ鼻の下を伸ばしたまではよかったが、新たに客が入店してきたことで状況が変わった。これでひとりグラスを傾けていられなくなる。矢口のストゥールがじきこちらに向き直し、聞きたくもない話の続きが始まる。
矢口の戯言は聞くに耐えない。矢口は話すことで機嫌を上げるが、聞く身は辛い。過去の話を繰り返されると、相づち、うなずきに身が入ることはない。上司でなければとっくに「じゃあまた明日」と手を振っていたところだ。
宮仕えのつきあいは、昇進への正道。それもまた我が人生かと忍ぶ思いをウイスキーと共に流し込む。

バーの落ちた明かりは、黄昏を誘う。橙色が沈む夕日に重なるからか。
いや、いちがいに言い切ることはできないようだ。矢口は同じ光を紅潮の味方につけている。酔いの雫と未練の渦に攪乱され、納得できずにくずっている、その駄々を味方につけている。
「これからいいとこだったのに、お預けか?」
矢口はしつこかった。
女は科をつくり、妖艶な笑みを矢口に投げかけた。
そのしぐさは矢口を射っただけではなかった。傍にいたオレをも刺激した、田辺は迂闊にも動揺してしまう。

場末のバーの、あばずれた女。着ている服ややることは熟練の域なのに、年齢はふさわしくなく若い。20代半ばかもう少し上くらいか? 目鼻立ちはくっきりしているのに幸薄い女の顔をつけている。
まあいい。女のあしらい方から矢口に脈のないことは見て取れたが、だからといって上司のお気に入りに入れ込むような間の抜けたことはしない。
オレには関係ない、と今度は惑わしをウイスキーと共に流し込もうとしたところで、グラスが空になっていることに気がついた。
氷が橙の光を拾って広げていた。

「お代わりつくっていいかしら?」
女の目配りの中に田辺が入っていた。
「ああ」、戸惑いが先にたったが、田辺はクールを覆いかぶせて答えた。
ブラントンの水割りを作りながら女が、いちばん奥に腰を降ろした客に声をかける。
「どうしたの? 連絡もなくとつぜんに」
会話から客はなじみであることがわかる。女は心なしか不安げに見えた。この客にこそ脈がある、田辺はそう直感した。
だが、男に感じる違和感はなんだ。近づきたいのに微妙に間合いを計っている、そんな空気が漂っている。
痴話げんかの最中か? だとしたら店には来ないだろう。それに「連絡もなく」とは?

巡る思いを断ち切ったのは「お待たせ」という女の声だった。言い終わるか終わらぬかのうちに、新しく作られた水割りがカウンター上を滑るように出てくる。手際よくコースターに乗る。
出てきたブラントンの水割りを田辺が口に含んだところで、田辺は初めてチェイサーに口をつけていた。
「濃かったかしら?」
女の言うように、強さが立ってついミネラルで薄めていた。言われて初めて気がついた。
まるで待ち構えていたかのようなタイミング。女は故意に濃く作ったのがわかった。
「少し、ね」と田辺が答える。
明日も仕事、そのことを思えば泥酔するわけにはいかないと田辺は思っていた。だから水で薄めてもらったというのに。

まさか、オレの心中を読んだというのか? 酔えない理由はあるものの、酔ってしまいたい自分もいたことに? だがオレは、くだらないつきあいの飲みなど本当はしたくないと思っていた。酔って忘れることができるなら、と。
矢口がカウンターに身を乗り出し「ジュリちゃん、何やってんのよ」と女を急かす。隣に戻って相手をしてくれと懇願している。
まだ大丈夫、と田辺は思う。矢口はしばらくは女に執心したままでいる。

田辺が隣席で上司のていたらくにため息をこぼした。
readerのため息と重なっていた。

この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。