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Novelber2020/05:チェス

「こんな明け方までチェスを打ってたのか」
 ジーン――ユージーン・ネヴィルは呆れ顔を隠しもせずに言った。
 チェス盤をはさんで向き合っているのは、オズワルド・フォーサイスとアーサー・パーシングであり……、この二人、という時点でまあ誰も止める者はいなくなるのである。強いて言えばジーンが止める役なのだが、今回は偶然不在だったわけで、そうするとこの二人はどこまでもどこまでも勝負を続けてしまう。
「ちなみに、今はどういう状況なんだ」
 ジーンの問いかけに、目の下にべっとりと隈を浮かべたアーサーが、血走った目を向けて答える。
「十勝十一敗十二引き分け」
 その間にもアーサーの手は自分の駒を一歩進めているのだが。第二世代でも断トツに並列思考を得意とするアーサーらしい応答である。
「ほぼ互角か」
「なお、『虚空書庫』は抜きというレギュレーションです」
「そりゃあな」
 ジーンの呆れ声に、む、とやはりこちらも死んだ目をしたオズが唸る。
『虚空書庫』とは、オズが生まれながらに持つ特殊能力で、どのような物事――本人が知らないことであろうとも――にも、正しい回答を与えるという、まさしく女神の声、女神の書庫というべき能力である。……のだが、オズはそれを自在に扱うことはできない。オズ一人でこの能力を本格的に使おうものなら、たちどころに脳と魂魄が焼ききれる。要するに、人間が耐えられる仕組みになっていないのだ。結局、オズがこの能力を有効活用するのは、翅翼艇の力を借りた戦の場くらいなのである。
 とにもかくにも、『虚空書庫』はこんな戯れに使う能力ではない、ということだ。
 オズの絵の具の色が染み付いた指が駒をつまみ上げ、かつ、と進めてから「あっ」と声を上げる。
「こちらに指し手なし。十三引き分けです」
「勝てるかと思ったんだけどな。アーサー、引き分けに持ち込むの上手すぎない……?」
「負けなきゃいいんですよ」
 アーサーは寝不足から来る目つきの悪さもあいまった、壮絶な笑みを浮かべてみせる。オズはわしゃわしゃと己の黒髪を掻いて、それから力なく椅子の背にもたれかかる。
「悪い、ジーン、紅茶淹れてくれないか」
「まだやる気か?」
「アーサーが逃がしてくれないんだ、こっちが微妙にリードしてるから」
「ああ……」
 そうだな、と認めざるを得ない。アーサーは本来そこまで勝負事に執着する方ではないのだが、対オズに関してだけは別だ。頭脳労働者だからなのか何なのか、アーサーはオズに突っかかってはこうして勝負を挑むのである。
 それで大きな差が出るのであればアーサーも諦めがつくのだろうが、『虚空書庫』を使っていないオズとアーサーはこの通り、大体互角だ。だからこそ余計にアーサーはオズに執着するらしいのだ。
「ジーン、オレにも頼みます」
「はいはい」
 ジーンが紅茶のポットを手に取る間にも、駒を並べる音が響く。
 あとどのくらいでアーサーがオズをリードできるのか。オズに「アーサーに気づかれないように手を抜く」という能力があろうはずもないから、運が悪ければあともう一日くらいはかかるのではないか。そんな風にも、思うのだった。
 
(霧航士宿舎談話室にて)

あざらしの餌がすこしだけ豪華になります。