私たちは誰なのか 1


「俺がすきなら、俺だけを見てろ。他の男に気を逸らすな!」

そう大声で叫んだ彼の切れ長な目が一瞬私を捉えた気がした。そうだったら良いなという願望がそう思わせたのかもしれない。
私は、他のキャストに揉みくちゃにされながら笑う彼を見て、心を決めていた。その舞台の帰り道、恋人と呼んでいた男性に別れを告げた。

最初は友達の付き合いで観に行った舞台のキャストの1人にすぎなかった。名前も知らない彼が演じた役が私の推しだったから、という理由もあるかもしれない。私はいつの間にか、彼を目で追い彼を探すようになった。
その後、舞台が終わった帰りの電車の中でファンクラブに加入した。
彼が今まで演じた舞台の映像を集められるだけ集めたし、インタビュー記事やグラビアなど雑誌類も集められるだけ集めた。そうやって彼を知っていった。

文学部を卒業いていること、趣味が映画鑑賞とゲーム読書であること、一人暮らしで猫のペットを飼っていること、そして家族関係が良好であること。
知れば知るほど私は彼に惹かれていった。
そして、彼が主演を務めた舞台の千秋楽の挨拶の時に周りのキャストに彼が放った言葉。それは彼が演じた役のセリフだったけれど、私には彼が私に言った言葉だと思った。
正直、彼と出会ってから、恋人との関係は冷め切っていて、連絡を私からする事はほとんど無くなっていたので、何かしらの後押しが欲しかったのだ。恋人と別れるための言い訳を探していた。

恋人からは、何度かメッセージや電話がかかってきていたけど、それに応じることはしなかった。理由を問われてもきちんと答えられる自信がなかったから。
最後に恋人から送られてきた文章に申し訳なさを感じたが、やっと解放されたという安堵感の方が強かった。そんな自分が最低に思えた。

「え、彼氏と別れたの?」
「うん、別れた」
「イケメンだったのに勿体なー」
「だって、好きって思えなくなってたんだもん仕方なくない?」
「それにしても、メッセージで一方的には最低だけどね」
「返す言葉もありません」

同僚とのランチタイムに恋人と別れたと報告をした。彼女こそが、私と彼を引き合わせた張本人なのだけれど、私が彼の言葉で恋人と別れた事は言わなかった。
彼女は可愛らしい顔を歪ませて軽く私を詰めた。けれど、それ以上何の追及もせず、話は週末に行く推しのコラボカフェの注文内容に移っていった。

私の推しの俳優の名前は、佐藤 某(さとう なにがし)
最初に知った時に、名前のセンスやばいなこの人と思ったし、この芸名をOKした彼の所属する芸能プロダクションにも衝撃を受けた。
日本で苗字ランキング1位の佐藤と、はっきりと物事をさせない時に用いる、某を名とする俳優とか、ぶっ飛んでる以外の言葉が見つからない。
しかし、そんなふざけ倒した名前とは裏腹に彼の演技は素晴らしかった。原作のキャラがあれば、それに全力で近づけつつ自分の色をきっちり組み込むバランス力、オリジナルであれば好きにならずにはいられない魅力溢れたキャラクターを作り上げる。勿論、脚本、演出家あっての事なのは理解しているが、ここまで引き込まれる俳優に出会ったことが無かった。

そんな佐藤某、通称さっくんは演技の時と普段では陽と隠ほどの差がある。例えばあるバラエティ番組に出演した時のこと、クイズ番組だったそこで、ジャンルに偏りはあるものの好成績を残した彼は、司会者から「良い活躍だったので、また出てよ」と言われていた。そこで普通の人だったら「是非お願いします!」と笑顔で返すだろう場面で彼は「疲れたのでもう出ません、向いてません」と無表情で答え場面が凍った。本来はカットされるこの場面が、なぜ一視聴者である私のところまで来たかと言うと、残念ながらこの番組生放送だった。
一瞬放送事故が起こったレベルで場が凍っていた。その数秒後には、横にいた同じ俳優仲間が鋭いツッコミをして、場を和ませその発言は冗談ですよということに落ち着いたけれど、私たちファンには分かる。
あれは冗談ではなくさっくんのガチの発言だった。

詰まるところ、彼の暗な部分は普段であり、陽の部分は演技をしている時。
役が乗り移ったかのようにキャラ変する彼は、インタビューや話す事がメインのバラエティ番組の時は、俳優としての佐藤某の役を演じている。なぜそれが分かるかというと、彼がデビューしたての時に雑誌のインタビューでそう答えていたからだ。

「自分は何者でもない。面白くもなければ、突飛した才能があるわけでもない。だから、何者かになりたいと強く思います。その為、こういうインタビューの時も佐藤某の役に入るところから始めています」
笑顔でにこやかな写真の横に載っていたその文章に私はますます感銘を受けた。
なぜなら、私もまた彼と同じ人種だったから。

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