鑑賞録 #14 「ヘルヴァ・ボス シーズン2 第3話:EXES AND OOHS」
モクシーの出自とその確執が語られ、モクシーが成長を見せて克服するかと思いきや成長は見せるが主にミリーが無双スパダリする話。
匿名の金持ちから地獄での仕事依頼があり、行ってみたらモクシーの実家でマフィア一家、という始まり。
迎えのヘリで移動しているが、その途中で再建中のLoo Loo Landを通過する。変態入りのマスコットがご健在な様子で何よりだ。
Loo Loo Landからさらに進むと緑をベースにしたカラーリングに変わって煙突からは煙が立ち上り、産廃まみれの有害そうな場所が見える。日本人的には毒の色って紫な気がするが、アメリカだと緑が多い。
退廃した景色の中、マモン印の袋を運ぶ人々、有害そうな液体を扱う人々、似たような風体の相手を縛り付けて惨殺する人々が映し出され、全員インプだがことごとくハット(ボルサリーノ)を被り、フォーマルな服装をしている。
そして極め付けが"NOTAMAFIA TOWN"の看板。
解読するまでもなく"NOT A MAFIA TOWN"で、"NO MAFIA HERE! WE'RE MAFIA FREE!" とか書いてあるが、笑ゥせぇるすまんのキャラ名くらい素性を隠す気のない表現である。
今回の依頼人が実はモクシーの父親で、彼の目的は「モクシーに組織の所有権(継承権?)を手放させ、代わりにモクシーの元カレで金持ちのチャズを取り込んでモクシーの代わりにする」こと。
IMPに連絡したのは、会社への依頼を装うことで出奔しているモクシーを確実に家に呼び戻すためだったというが、2x1のストラス父、ブリッツ父に引き続き本作の父親というのは基本的に毒素多めだ。
余談:メインキャラと親
メインキャラ周辺(特に家族)の人格を破綻させておくことで視聴者が勝手にメインキャラの苦労や悲哀を想像し自然と深みを出す効果もあるのでとても良い手法ともいえるが、多くのアニメ(カートゥーン)では毒親にするというより「すでに死んでいる」「早々に死亡する」「両親は生死不明で祖父母や養父母に育てられた」パターンを採用される場合が多い印象がある。
日本の作品でいえばルフィは両親を知らず祖父のガープに育てられたし、虎杖も両親を知らずおじいちゃんっ子、ナルトも両親を知らないし、ゴンは父の存在こそ感じていただろうがミトさんに育てられたし、ハガレンのエドや鬼滅の炭治郎は優しい母に育てられるも幼い頃(あるいは物語序盤)で死亡、進撃のエレンやミカサも両親が早々に死亡する。
鬼滅に関しては親兄弟や準家族的な存在を鬼に殺された怒りを原動力にしているキャラクターが多いのでそういうバックグラウンドの人たちがメインどころになってしまうだろうが、柱の中で家族が健在なのは蜜璃くらいだろうか。
両親がいると行動が制限されるという点で邪魔になるし、主人公やメインキャラが困難を一身に受けて打開していくことが醍醐味であるために親という存在は頼もしすぎるし、「普通にまともな両親が揃っている子供」には謎やハングリー、コンプレックスが付加しにくく扱いが難しいのだろう。
キャラクターに厚み・深みを出す、キャラクターの人生をハードモードにする、キャラを自由に動かせるといった効果のある設定だが、Helluva Bossでは「存在を消す」のではなく「毒親にする」というのがまたカオスを生み出していて面白い。
本編に戻る
さて、毒素多め父のクリムゾンが企む「モクシーに組織の継承権を手放させ、代わりにモクシーの元カレで金持ちのチャズを取り込んでモクシーの代わりにする」計画だが、実際は「モクシーとチャズを結婚させ、モクシーを組織に取り込んだ上で資金力を高める」のが本当の目的であり、終盤無理やり結婚式が開かれる展開になる。
地獄でも結婚やら権利やらで制度やしがらみがあるかと思うと別に現実世界と大して変わりませんな、なんて思ってしまう。
実際はチャズは破産寸前で、チャズの方こそ金目当てだったことが判明しモクシー父に粛清されるという割とメジャーな筋書きでエンディングを迎えるが、全体を通して組織の後継問題というよりはモクシー親子の確執やブリッツの献身的な振る舞いが描かれていたのがよかった。
モクシーはバイセクシャルだが、父親のクリムゾンは現代のwokeな感覚からすれば性的指向に無理解で差別的な態度をとっている。
それでも組織の利益のために理解のある振りをするのだが、「バイってことはゲイってことだろ?ゲイってことはd**kが好きなんだろ?」と言い放ち、屋敷中に可動式のディルド(収納可)を配置するというトンチキ親父である。
既婚者でミリーに一筋だと言い張っても、でもゲイなんだからチャズとも結婚できるじゃないか。元カレなんだし。と悪気なく無理解。これは性的指向に無理解とかではなく人格や個人の自由意志みたいなものの否定というのが近いだろうか。
いや、なんか、性的指向への無理解とか、人格の否定、自由意志を尊重しない非道な振る舞いとかそんなことよりも、舞台が地獄で、人外ばかりで、節操のない性的な描写ばかり観てきた私からすると、あなたたちって「男か女か」なんて気にしてたんですね?!という衝撃の方が大きい。
余談:セクシュアリティについて
一度セクシュアリティ分析を試したことがあって、以下のような結果が出た。
詳しくないので理解が間違っているかもしれないが、大体こんな感じだった。
なるほど、納得できる点もあると思う一方で、あまり細分化されるのも困りものだなという気持ちもある。
他者のセクシュアリティについては何も思わないが、自分のことについて「こういう分類に当てはまります」と言われてしまうと、「へぇ〜私って〇〇なんだ〜」と無意識にそちらに寄せていってしまう気がして嫌なのだ。
血液型に特徴を割り振られるとそれに自ら寄せていってしまう、という心理と似たようなものだろうと思う。
最近は「〇〇さん、A型だから几帳面で細かいんだ〜」なんて聞かなくなったし、聞いたとしても「まだ血液型とか言ってんの?」って感じではあるが、同世代でもたまに血液型がうんたらかんたらと言い出す人はいる。
血液型占いなんて日本ではまことしやかに伝わっているが、諸外国でメジャーにならないということは血液型で性格の大別は見られないということだ。
オカルトである。(諸外国にもそれぞれオカルトはあるが)
しかし、あなたはどんな性格ですか?という設問に、A型の人が「几帳面」を選び、B型の人が「マイペース」を選び、O型の人が「おおらか」を選び、AB型の人が「二面性がある」を選びがちだという。
誰だって几帳面で大雑把でマイペースでせっかちでおおらかで神経質で二面性を持っているのに、なんとなく自分の血液型っぽい特徴を選んでしまう。
恐ろしい刷り込みだ。
そんな感じで「ああ、自分は〇〇セクシュアルなんだ」という自己暗示にかかって不必要に偏ってしまいそうで怖い。
再び本編に戻る
まあ、モクシーパパからすれば「エイセクシュアルでノンバイナリー」とか「はあ?じゃあ何が好きなの?」って感じなんだろうが、この回ではセクシュアリティのみならず「息子を理解せず、自分がそうだと思い込んだことがアップデートされず、自分の価値観と主義主張を押し付けるDV父像」というのが度々描かれる。
幼いモクシーをフォローし続けたのはモクシーの母親だったが、夫の蛮行に堪りかねて離反したところから登場しなくなり、おそらく殺されてしまったのであろう描写が挟まれている。
とんでもない父親だ。
1x1で「母」を殺し「幸せそうな家庭」を壊すことにモクシーがえらい躊躇っていたのは、もしかしたらこの体験も影響しているのかもしれない。
しかしこのチャズというのが驚くことにミリーの元カレでもある。
作中の活躍を見る限りただの無能で「スケベなだけで金がない」やつだが、なぜかセックスアピールだけは人一倍あるようで当時のモクシーは一目惚れしていたらしい。
ちなみに、ここでボスの出番がやってくる。
表面上は「権利を手放せ」「チャズを代わりに迎え入れる」という話だが、明らかに不穏な空気を感じ取ったのかブリッツが一肌脱ぐ。
そもそもブリッツは貴族を利用して結婚記念日をストーキングするほど執着しているM&M夫婦の両方とセックスしたことのある男という時点でチャズをよく思っていない。
その夜ブリッツは、元カレのモクシーにも元カノのミリーにも振られ、ワンチャンいけるか?みたいな感じでブリッツの部屋にやってきたチャズを快く迎え入れ、ストラスが知ったらフル・デーモン化してしまいそうな激しい一夜を過ごす。
本当に激しい。君たち(ていうかチャズ)、AVの見過ぎじゃないか????
しかし実はこれがチャズを探るためのスパイ行為の一環であり、身体を張って部下の危機を救わんとするなんとも健気な一面だったというのが視聴者からするとブリッツの魅力をかなり底上げすることになっているようだ。(ソース:SNS)
ブリッツは性的な方面がお盛んなので本人的にどの程度の労力に値するのかはよく分からないが、「M&Mの元カレとセックス=M&Mの性生活を擬似体験できる」という動機もあるにせよ、彼にだって「好きでもないやつに触られるのは気持ち悪い」という感覚はあるだろう。
……余裕で疑似体験欲が勝った可能性はあるが。
しかし、彼は意図的に「さらけ出してる風」にすることはあっても「本当にさらけ出す」ということをしないので、個人的にはその佇まいがとってもセクシーだと感じる。
ブリッツとモクシーの出会い
作中で二人が初めて出会うエピソードが描かれていた。
家業の一環で強盗をしたモクシーがチャズの裏切りによって一人だけ逮捕されてしまい、刑務所に入れられ、そこで同室になったのが他でもないブリッツである。
愛し合っていると信じていたチャズに裏切られて落ち込んでいるモクシーのことなどお構いなしで、楽しそうに脱獄計画を持ちかけるブリッツに心を救われたようだ。
落ち込んでいる時、気分が沈んでいる時に優しく全てを受け止めて「あなたは悪くないよ」「そんな目にあったら誰だってつらくなっちゃうよ」と味方になってくれる存在には本当に救われるが、ネガティブな気持ちを笑い飛ばして「そんなことよりめちゃくちゃ楽しそうなこと見つけてさ」と忘れさせてくれる存在も同じように大事である。
自分が励ます側になった時によりよい対処ができていたら嬉しいけど、こればっかりは本当に難しい。
この時のモクシーにとってのブリッツは大正解を叩き出しているのだろうし、同室になったところからの縁でIMPに誘われ、ファミリーからも遠ざかることができたのだろう。
社長と部下とはいえ、普段あれだけけちょんけちょんに言われているのに律儀にSirと呼び続けていたのには彼なりの感謝があったのだと思うとちょっとぐっとくる。