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「嘘つきたちの幸福」第3幕(後編)

初めから読む→「嘘つきたちの幸福」第1幕|青野晶 (note.com)
前回の話→「嘘つきたちの幸福」第3幕(中編)|青野晶 (note.com)

■第3幕 第14場
 パルミル王宮遺跡の回廊を進んでいたカルロ王子は急に立ち止まり、背後にいるイーシャを振り返った。人差し指を自らの唇に触れ、音をたてないようにとイーシャに伝える。そして声をひそめてイーシャに耳打ちした。
「男の声が聞こえる」
 イーシャは耳を澄ませる。確かに誰かの声が聞こえた。何を言っているのかはわからない。しかし力強い声で何かを訴えたり、笑っているらしいことはわかった。
「この声の響き方、きっと王宮の大広間からですわ」
イーシャはカルロ王子に耳打ちを返した。
パルミル王宮遺跡の構造がスファン王宮にそっくりであることに、イーシャはとっくに気付いていた。この回廊の先にあるのは大広間だ。かつてアビー王子が美姫たちと踊った……いや、正確に言えば踊っていない。アビー王子は慣れないからと言って一緒に踊るはずの姫たちを避け続けた。あの晩、アビー王子が唯一手を取った女性はイーシャだった。舞踏会が終わった後、アビー王子はイーシャの手を取って無音の中で踊ってみせた。失われた時間と空間は、無色透明の結晶となってイーシャの胸の奥にある。
「アビーが大広間にいるのかな?」
「だとしたら、何か変です」
「なぜ?」
「どうしてアビー王子が大広間でわめきましょう? そんなことをするお方では……」
「アビーと革命家の女が揉めているのかもしれない」
 カルロ王子もまた、響いてくる男の声がアビー王子らしくないことに気付いていた。しかしカルロ王子はこの遺跡に入った男はアビー王子だけだと思い込んでいる。ムアがいることは知らないのだ。なんらかの事情でアビー王子が革命家の女と揉め、普段のアビー王子らしからぬ声をあげているのかもしれない。
「急ごう。アビーが危ない」
 カルロ王子は重いマントを脱ぎ捨てると、背に担いでいた弓を手にとり、革袋から矢を出してつがえた。鍛えられた腕の筋肉があらわになる。不覚にも、イーシャは心臓の鼓動が速まるのを感じた。
「ええ」
 イーシャは深くうなずく。カルロ王子から離れないように気を付けて、大広間へ続く道を踏み出した。
 
■第3幕 第15場
ファイザは預かった短剣を右手に持ち、左手でアビー王子の手首をつかむと大広間に向かって歩き出した。ムア、と呼びかける。広間の中心に立つムアはファイザの名を叫ぶのをやめて、声のする方を見た。
「ファイザ」
 口の端に笑みをにじませてムアはファイザを見た。ファイザは浮気男を連れてこちらに歩いてくる。ムアは満足した。
 さっさとこの男を殺してアビー王子を捕まえよう。全員ここで殺してやる。
 夜光石の光に晒されたムアの彎刀は血を欲していた。
「ムア、浮気をしているなんて誤解をさせて悪かったわ。実はアビー王子を捕まえるためだったのよ」
 ファイザはムアの前にアビー王子を突き出した。手首は握り締めたままでいる。アビー王子は抵抗せず、ムアの前でうなだれた。
「……このみずぼらしい男がアビー王子だと?」
 ムアは首をひねった。
「嘘だな。俺はさっきこの遺跡に入っていくアビー王子を見たんだ。奴はベリアの王族風のマントを身に着けていた」
「ああ、それが違うのよ。私もさっきまで知らなかった。バース王国のアビー王子とベリア王国のカルロ王子はそっくりでほとんど見分けがつかない。さっきあなたが見たっていうのはカルロ王子の方よ。本物のアビー王子はこっち。あたし、この通りつかまえてやったわ」
ファイザが淀みなく真実を並べ立てると、アビー王子は不思議に孤独を感じた。
ファイザは嘘つきではないのかもしれない。僕と違って……。
考えてみればファイザはひとつも嘘をついていないではないか、とアビー王子は思い始めた。初めからそのつもりだったのかもしれない。本当はカルロというのが偽名だと気付いていて、アビー王子を捕らえてムアに突き出し、スファン王宮でムアと二人、幸福に暮らしていくはずだったのではないか。そうだとしたら、なんと情けないことだろう。恋にただれた胸は、つかまれた手首よりもひどく痛い。
それでも、これでファイザが幸福になれるのなら。
嘘つきにも願える幸福がある。アビー王子はそう思った。これだけは嘘じゃない。自分の命と引き換えにファイザが幸福になれるのならそれでいいと、アビー王子は心から思えた。
ファイザはムアに距離を取ったまま立ち止まる。アビー王子のことは離さなかった。
「ムア、さっさと私たちのスファン王宮に戻りましょう。アビー王子を断頭台に送ったら、私たち、めでたく結婚を」
「よくやった、ファイザ! 私たちの幸福のためにアビー王子を殺せ! 今! ここで!」
ムアは彎刀を柄におさめると、豪快に笑いながら拍手した。
「さあ! ファイザ! アビー王子をその短剣で突き刺せ!」
 ファイザを射すくめるムアの眼光は鋭かった。
試されている。と、ファイザにはすぐにわかった。今ここでアビー王子を殺さなければ。それができなければ、アビー王子よりも先にファイザがムアに殺されてしまうだろう。ムアへの愛の証明。それは、今ここでアビー王子の心臓を刺し貫くことだ。それさえできればファイザは幸福になれる。ずっと願ってきたことだった。
アビー王子から預かった宝剣を握るファイザの右手はかすかに震えた。そのことに誰よりも早く気付いたのは、アビー王子である。ファイザがしっかりやりとげられるように、アビー王子は祈った。自分の命を犠牲にする覚悟はできている。しかしファイザがムアに殺されることだけは避けたかった。アビー王子はその場にひざまずいた。
「アビー?」
 ファイザが振り返ってくる。アビー王子に目線を合わせるよう、ファイザもその場にしゃがみこんだ。
 アビー王子は優しく眉根をゆがめ、潤う瞳でファイザを見つめる。温かい涙を宿した瞳は、夜光石の色をしていた。
「ファイザ。よく聞いてくれ。僕のせいで君の故郷は滅び、君は奴隷になった。だから君には、僕をこの刃で切り裂いて幸福になる権利がある。君に授けたその宝剣で僕の心臓を突くんだ。大丈夫。刃はよく研いである。力任せに突き刺さなくても、刃はすっと僕の皮膚を、筋肉を、裂くはずだ。一思いにやってくれ。ファイザ。僕はただ君に幸福になってほしい」
 ファイザは震える右手に左手を重ね、両手で短剣を握った。
ファイザにつかまれていた手首を解放されて、アビー王子は王宮の天蓋を見上げる。ひとつ深呼吸をすると瞼を閉じた。アビー王子はマントを脱ぎ、ボロの服の胸を開いた。
 ファイザ。愛しているよ。
 言葉にしなかったのがアビー王子の優しさだった。ファイザが掲げた短剣を無事に振り下ろせるように。その刃が間違いなくアビー王子の心臓を裂けるように。アビー王子はただ胸の内で行き場のない愛を抱きしめる。
 ファイザは短剣の柄を両手で握り締め、高く掲げた。アビー王子は胸を反って瞑目している。開かれた胸の地肌が眩しく青白かった。
このまま刺せばいい。
ファイザは唾を飲みこむ。一思いに短剣を振り下ろし、アビー王子の心臓を突く。大丈夫。アビー王子は今日のために宝剣を研ぎ澄ましてくれていた。刃を一度突きたてれば、それはアビー王子の皮膚を、肉を、その先にある心臓を、すっと切り裂くことができるだろう。長く苦しんでほしくない。だから、どうか。ファイザは指先にありったけの力をこめる。ファイザはついに白銀の刀身を振り下ろした。
瞼に映るファイザの影がすっと動いたのを感じて、アビー王子は最期の時が来たのだと覚悟した。ところがその直後、キンと鋭い音が膝の先に落ちた。胸に痛みはない。
ファイザ?
アビー王子は痛みも感じないまま自分は死んでしまったのではないかと思った。ゆっくりと目を開ける。そこには、夜光石の床に短剣を突き立てているファイザがいた。床には亀裂が入り、夜光石の破片が散っている。転がる短剣の先は刃こぼれして、夜光石の紺青の欠片の中に銀を散らしていた。
「無理よ」
 涙声が耳元で震えた時、アビー王子はファイザに強く抱きしめられていた。
「私、アビーを殺したい。でもそれ以上に」
 アビー王子は立ち上がる。ファイザを支えて。
夜光王宮のパ・ド・ドゥ。殺さなければならない。しかしそれ以上に愛してしまった! 同じ二律背反によって強く結ばれた二人は、夜光石の輝く静謐な広間で劇的に踊る。 
「裏切ったな! ファイザ! お前から殺してやる!」
 ムアは彎刀を勢いよく抜き放った。マントを脱ぎ捨て、猛然と迫ってくる。アビー王子は床に落ちた短剣を見た。もう使い物になりそうにない。対抗できる武器など持っていなかった。それなのに体は勝手に動く。アビー王子は身を挺してファイザを守ろうとした。
「逃げてくれ、ファイザ!」
「いいえ! アビーがここで死ぬのなら、私もここで死ぬわ!」
 ファイザがそう叫ぶのと当時に、誰かが回廊から飛び出してきた。人影はムアの腰にしがみつき、動きを封じ込める。
「イーシャ!」
 人影の正体に気付いたのはアビー王子だった。
 イーシャは武器を持っていない。身ひとつでムアに挑んだのだった。イーシャは細い腕を必死にムアの腰に絡める。骨盤を固定されると人間は動きを大きく制限されることを、イーシャは知っていた。ムアはいまいましそうにイーシャを振りほどこうとする。
「アビー王子! あなたの愛する人が死ねば、あなたは私を愛するしかないと思っていました。けれど、きっとその人を失ったら、あなたはスファン王宮を失った時よりもずっと悲しむのでしょう。そうならないように。その人を失ってあなたが悲しむくらいなら、私が身代わりになります! この男が私を殺す隙に、どうかお逃げ下さい!」
「だめだ! イーシャ!」
 ムアは彎刀を高く掲げ上げる。イーシャの細い身体など一刀両断できる自信があった。幅のある銀の刃が空を切ってイーシャの背に襲いかかった。
その時、イーシャは鋭い羽音のうなりと、どっと重い鈍い音を聞いた。イーシャに迫った白刃は空中で静止し、清い音をたてて夜光石の床に落ちた。何が起きたのだろう。イーシャがこわごわと見上げた時、ムアの左胸に矢が刺さっているのを見た。
あっ、とイーシャは思った。ムアの胸に突き立った矢は、カルロ王子がたすき掛けに背負っていた矢筒に入っていたものと同じだ。
ムアは後ろ向きに崩れるように倒れた。直後、イーシャの震える小さな背を、カルロ王子が包むように抱きしめた。

■幕間
 重い幕がゆっくり降りてくる。私は拍手を終えてスマホの電源を入れた。LINEを起動。アビー王子のトーク画面を開いた。
「照明、いい感じに顔に当たってた! 最終幕も頑張って!」
 返信は確認しないまま画面をブラックアウトする。隣の席のあなたが、空席に荷物を置こうとしてたから。私とあなたが並んで座って、その隣が空席だった。
ちょっと、さすがにだめだよ。荷物置いちゃ。……うーん。第一幕から三幕まで空席なら、確かに誰も来ないのかも? いやいや、でも第四幕で来るって人も……いないかな? ほら、幕が上がってから遅れて来る人もいる! きっといるよ! そういう人が来た時に自分の席に荷物置いてあったらちょっと悲しくない? だめだめ。とにかく、隣の空席に置くのはやめとこ? あ、ほら、私の足元スペースあるよ。置こうか? こっちにパス!
あっ、休憩するのはいいけど、帰っちゃだめ。一番盛り上がるのはフィナーレなんだから。

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「嘘つきたちの幸福」第4幕★完結★|青野晶 (note.com)

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