記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

モラハラ、精神的DV、蛙化現象を考えるきっかけに…角田光代「坂の途中の家」を読む


角田光代さんは好きな作家さんの一人で、
他の本もたくさん読んできました。
すべてが好き、というわけではないけど、
「八日目の蝉」も好きだし、「対岸の彼女」もよかった。
いつもすごくグッとくるものがあります。

それは私も作者と同じ女性であるから、
ものを書くことが好きだから、
書くことでなにかをつかもうとしてるから?

今回読んだ「坂の途中の家」は角田作品の集大成ともいえる、
女性として今まで生きてきたことへの
違和感、疑問、すべてをあらわにしてくれた作品だと思いました。

この本を読もうと思ったきっかけは、
好きな角田さんの本だからというのもあるけど、
WOWOWが製作していたドラマの原作にも
なっていたから。

昨今、原作とドラマとの相違が問題になっているけど、
私はドラマも好きだし、むしろ、
「原作の小説ではこの部分をどういうふうに描いてるのかな」という
ことが知りたくて、あとで原作を読むことが多い。
(でもそれは小説のみ。漫画原作の場合はほとんど
あとで原作を読むことはありません)

「坂の途中の家」は、主演を柴崎コウさんが演じていて、
内容がとても興味深くておもしろくてぐいぐい引き込まれて
「もっと深く知りたい!」と思いました。

原作の小説を読んでみると、
ドラマ版の方は、かなりエピソードが
加えられていたんだな、という印象です。
原作では主人公の目を通してでしか
知り得なかった脇の人たちにも
スポットを当てていて、ドラマ的にすごくおもしろかった。


そして、ドラマでも原作でも、
この物語の中には、長年私の知りたかった問題…
女性として生きてきてぼんやりと浮かんでは消えていた
辛さ、理不尽さの答えがある!という気持ちになりました。

内容は、
自分の娘を浴槽に沈めて殺めてしまった母親の
裁判員裁判の、補充裁判員に選ばれてしまった里沙子が主人公。

里沙子にも幼い娘がいる。夫もいる。
平凡な普通の専業主婦。
だんだんと被告である水穂と自分が
重なりあっていく、というサスペンス。

ドラマのときの描き方もよかった。
法廷ものとして興味深く見ていると、そこに
とんでもない「仕掛け」があって、
その仕掛けが明かされるとともに、
なんだか気持ちが揺さぶられてぶわーっとなった。
(ネタバレになるので詳しくは書かないけど)
このテクニックは本当にすごい。
「心理サスペンス」といってしまうと
エンタメっぽいのに、ただの驚きじゃなくて
すごく「伝えよう」という気持ちが込められていると思いました。

ネタバレになるけど…
とばかり言っていてはなにも書けないので、
書いてしまうけど、
この物語の一番衝撃的で大事な部分は、
夫からの静かなDV…精神的DV。

一見DVには見えない、でも確実に
妻をおとしめる。卑怯な暴力。

しかもそれは誰にも気づかれないように、
丹念に丹念に積み重ねられていく。

だから誰も夫を責めない。
誰からも「いい旦那さんね」と
思われてしまう。

世間が、社会が、常識が、こぞって
「いい旦那さんね」
「なのになぜ」
と訴える。
みんな夫の味方になる。
世間の常識に当てはめてみれば、
おかしいのは妻の方。

真実は実に巧妙に妻をおとしめているにも
関わらず。

世間の「常識」が妻を犯罪者に仕立てあげていく…
という感じ。

里沙子は、裁判があるたびに
自分の境遇と水穂の境遇を重ねてしまう。
だから水穂との境界線がわからなっていく。

すごく、怖い話。
霊とかがでてくるよりも
リアルで、怖い。



私自身は、独身であり子も産んだこともない。
ついでにいうと、結婚したいと
思ったことはないし、子を産みたいと思ったことも
ありません。

だけど、この小説の主人公の気持ちが
痛いほど理解できます。

生涯独身である私だけど、
パートナーといえる相手はほしいと思う。
一人じゃ寂しい、という思いは
誰にでもある。

独身だからこそ…

誰かと楽しみを共有したい。
誰かとわかり合いたい。
支えてくれる相手がほしい。

それでも

結婚は…

怖い。

それはすべての人に言えることではなく
もちろん結婚して幸せをつかんだと訴える人もいる。それは(一応)認める。


でも…


やっぱり怖さがあります。
その「怖さ」(誰もが「幸せ」なものだと決めつける)
の正体とは何か?




小説の中で登場する
水穂も里沙子も、
「世間の常識」という槍でつつかれ
自分の足で立つこと、自分で考えることを諦めざるをえなかった。

里沙子が裁判を重ねていくうちに
明らかになったこととは、
同じく夫からの静かな暴力と支配です。


何かを決めるごとに、いちいち
「君はバカだね」というような言葉を
植え付けられてきたこと。
それが実に巧妙で。



里沙子が、夫から見下されるような、バカにされるような
選んだものが否定され却下されてきたということを
繰り返されていたことを気づくシーンがあります。

そういうふうに、いちいちバカにされたり
否定されたりすると、
「自分が間違っているのかな」という思考になります。

自分で考えることが面倒になり、
もう、すべて夫に決めてもらおう、
大人しく従おう、私はどうせバカだから…
またバカにされるから…
となってしまうのは自然なことです。


これはすごくよくあることで、
気づいたときはもう遅くて、
知らない間に力を奪われていて、
とても恐ろしい、誰も気づかない洗脳のテクニックです。




私の描いたマンガの話で申し訳ないのですが。
去年春から夏にかけて描いた
「妻がメンエス嬢になりました。」
のなかに、似たようなシーンを描いたことがあります。

私はこのシーンが描きたくて、
「妻メン」を描いたのです。




主人公のよしえは、学生時代に誘導され洗脳されるように
いつの間にかトオルを付き合い、結婚します。

でも自分の意思がどんどん消えていき
人形のようになっていくことに気づき
慌てて家を飛び出しメンズエステで働くようになり
そこでトオルと再会する…という内容です。





トオルのしてきたことはモラハラだし精神的DVです。

でも、それはよしえを憎くてしたわけではなく、むしろ
逆でよしえを手元にずっとおいておきたかったから
そうしていたのです。

これを描いてからドラマ「坂の途中の家」を見たのですが、
なんとなく自分の訴えたいことと
似ているような気がして
なんとなく嬉しかったし誇らしい気持ちになりました。

(もちろん、ドラマや角田光代さんの小説は
私が趣味で描いた漫画とは比べようがないほど全然、
内容すべてにおいて格が違うのですが。)


結婚相手であっても、籍を入れないパートナーであっても
ただ単に付き合う相手であっても…

こういう静かなDVは本当に、よくあることだと思います。
DVを受けた経験がある人は、
「どうしてそんな人と結婚したの?」とか
「そもそもどうしてそんな人と付き合ったの?」とか
「そういう男を引き寄せてるんじゃないの?」とか、
きっと言われたことがあると思います。


でも、静かにDVして支配する人って、
絶対、「最初は優しかった」のです。

「最初は」つまり、
付き合う前は、もしくは結婚する前は。
優しかった。いい人だった。
話を聞いてくれた。認めてくれた。


対等であった。


だからこそ、「この人なら大丈夫」と
思って結婚したのだと思います。

対等であった相手と付き合ったつもりでも
人間は良くも悪くも変わっていくものなのですから
「ずーっと対等」
「ずーっといっしょね」
なんてことはあり得ないことなんだということは
わかります。



そこを含めて(きっと)結婚生活というものは
良いもの(?)挑戦する価値のあるもの(?)
であるような気もしますが、
やっぱりこういう静かなDVが起こる危険性は
絶対あります。


「結婚前に見抜くことが大事」とかいうけど、
それはきっと不可能です。

だってほとんどのDV男は
結婚後に正体をあらわすのですから。




ふと思い出したのですが、
私がまだめっちゃ若かったころ(18歳くらいだった)
バイト先の男の子と仲良くなって、
「付き合うのかな?」という感じになったことが
あります。

でも、急に冷めてめっちゃ嫌いになって
最終的には顔を見るのもイヤ!!というほど
嫌いになったことがありました。



今でいうカエル化現象?
というやつですね、たぶん。



その後、恋愛にあまり恵まれることはなく、
好きな人はできても
彼氏ができることは10年くらいは
ありませんでした。

その10年の間、あまりにも彼氏というものに
縁がなかったので、
もしや私は呪われているのでは…とか
あんなに嫌いになってしまった罰なのでは…
と思い悩んでいました。



でも…



じゃあ、「なんで急に嫌いになったんだっけ?」と
思い起こしてみると…


そのカエル男(私より2つくらい年上だった)は、
最初は普通に楽しく会話も成り立っていたのですが、
だんだん仲良くなるにつれて、
いちいち私をバカにするような口調になっていきました。
「え、こんなんも知らんの?」としつこいくらい
何回もいってくるそのカエル男の顔は嬉しそうでした。
大人のくせに、女子をからかう小4の男子のようでした。

そういうからかいや、バカにするような発言が続き、
私は彼を見ると吐き気がするほど嫌いになりました。

今思うと呪いでも罰でもない。
私は正しかった!と思います。

その後、30代になり40代になり
付き合った男性も、
似たようなことがありました。


最初は優しい…というか
対等。
でも、だんだんとバカにするような口調になる。


あまりにも付き合う相手がみんなそうだと、
私自身に問題があるのでは?と普通思いますよね。
(私もそう思います!)


私だって完璧な人間ではない…。

私だって悪いところがある、

それに気づかせてもらっている…てな具合に。

この思考自体に問題があるのですね、きっと。

でも、

「最初は優しかった」
「最初は対等だった」
「最初は好きなところいっぱいあって一緒にいて楽しかった」

という気持ちから、
なんとかその関係を維持したい、
出会った頃のときめきを忘れたくない、
(少女漫画的な発想)
と願うのは女性なら
自然なことなのだと思います。


そして、その自然な流れの中で
気づけばすっかり力を奪われているという事態になるのです。


もしかしたら、
「好きになった人との関係をこのままうまいことキープしたい」
という感情は、女性特有のものなのでしょうか?

だって少女漫画にはこの手の「ハッピーエンド」が多い。

私も30~40ページの読みきりばかりを
描いていた頃は、
そういう終わり方でないと、
終われなかったんです…
そうしないとネームが通らないので。


ネームが通らない=原稿料が入らない=生活ができない


いろいろあったけど最終的に
お前が好きだ!お前しかいない
嬉しい!ずっと私たちこのままね。
と、いうよくあるラストシーンの締め。
そういう話を自分でもたくさん描いてきました。
(もうそういうのは描きません!)


そういう少女漫画をたくさん垂れ流していた出版社、
そして書き手の私自身にも責任が
あるような気がします。すごくします。


ちょっと話を戻しますが。
そのカエル男は、私に対しあまりにも
小4レベルのからかいを続けるので、
私自身は、
「ああ、この人、もう私のこと好きじゃなくなっちゃったんだな」
と思ったのです。

だって、好きな子のことをそんなふうにからかったり
いじめたり、しないでしょ?
好きじゃなくなったから、そうなっちゃったんでしょ?と。

だから私のほうも距離をおいたり
ダイレクトに避けたりするようになりました。(吐き気がするほど嫌いになったし)

ところが、なんとカエル男は周囲には
私のことを好きなのに、避けられてつらい、
付き合ってると思ってたのに!
と吹聴していたのです。

は?と思いました。

それで「悪者は私」ということになりました。
地味なくせに年上を振り回す…
恐ろしい女なのでしょう、私は。






「坂の途中の家」の主人公は、
ラスト、どうなったのかどういう決断をしたのかは
曖昧のままでした。
それがまたリアルで。
この先は自分自身で考えなければならない、という
メッセージなのかもしれません。

ドラマを見たときも、
「もうこんなん離婚するしかないやん、つらすぎる!」
と思ったのに、離婚はせず、
なんとなく夫婦仲をこれから修復していこっか、
みたいな感じで終わったので、そこがモヤモヤして納得いきませんでした。

でも、現実的に、離婚は難しいのだろうと
思います。

だって里沙子にはなにもない。
一人で生きていくという選択肢がない。
娘もいる。
どうすれば?

ここから一念発起して離婚を勝ち取って
株とかやったりYouTuberでバズって
娘と幸せに暮らしてますー!
なんていう人も、いるかもしれない。実際にいるとは思いますが、
でも、それは現実的ではありませんし、これはそういう物語では
ありません。


原作の小説は、とてもリアルでした。
答えがない。
ハッピーエンドではない。

でも、すごくたくさんのことを考えさせてくれました。



私たちは、みんな一人で生きていくのは寂しすぎる。

でも、自由がほしい。
自分自身でありたい。
自信がほしい。


心から幸せだ!と思う瞬間を積み重ねて生きていきたい。



なにも成功をつかみたいという
わけではありません。

有名になりたいわけでもなく
偉いと思われたいわけでもありません。
ましてや「羨ましい」と思われたいわけではない。

権力がほしいわけではない。
多くの人を支配したいわけでは決して、ない。
そんなものいらないし。




みんな「私自身」になりたくて
生きているのではないでしょうか。



でも、自分の思う幸せのために他人を利用する人もいます。
水穂の夫も、里沙子の夫も、カエル男も…

「そうすることが自分にとって正しい愛し方」
だっただけです。

自分の育った家庭環境をなぞっている
だけなのかもしれません。

家庭のなかで、夫が妻に、(もしくは妻が夫に)
見下すような態度で接していれば
そし、それが「家庭というものだ」と信じていれば
そしてそれが「これが理想の家庭の見本だ」「長続きさせる秘訣だ」
と信じちゃっていれば

結婚してから、妻に対しおとしめるような
態度をとるのは当然のことです。

みんなそれぞれの家庭環境を軸にして
自分の家庭を築こうとします。

結婚は、怖い。

私がついそう考えてしまう理由はこれです。

みんながそれぞれ、自分の家庭の中の
価値観を「普通だ」「正しい」と
思い込んでいます。

それをパートナーにも植え付けようとします。
それが自分の理想とする「家庭円満」というものだからです。

「いい家庭で育った」と満足している人は
自分自身も家庭を築くことに対し
積極的になれると思います。
でも、私は自分の育った家庭には
違和感がたくさんあった。
ここにいる自分は自分ではない、という気持ちが
いつもあった。


だから今、一人で暮らしで一人で仕事することに
ものすごく安心感があります。
不安定だという不安、この先どうなるかわからない不安はあるけど
それを上回る安心感があります。



だって、ここでやっと「私」は「私」になれる。




「モラハラ」「精神的DV」は
いつやってくるかわかりません。

たとえ「うちの夫はそんな人じゃないから大丈夫」
だったとしても
10年優しいパートナーだったとしても。

突然、私の悪い部分を上げだして
説教をはじめる人もいます。


あまりに突然だと「私が悪いのかな」
と思ってしまいます。
本当に、そう思ってしまうのです。
だって自分は完璧ではないし
きっと悪い部分はあるし
直さないといけない癖はあるだろうし。






でも
もしそういうことがあっても


忘れていけない。


「私」は「私」になるという夢を
忘れてはいけない。


自分の足で立って生きていくという
目標を忘れてはいけない。

この小説が教えてくれているのはそのことなのかな、
と思います。

普通じゃなくてもいいし、失敗してもいいし、間違っててもいいし、嫌われてもいいし、多少自分勝手でもいいと思う。

絶対に

「私」として生きていくために

「私自身」を信じてあげたい。




ついでに自分の漫画も宣伝(笑)
無料で読めます!








この記事が参加している募集

読書感想文

サポートしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。