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#01 店内に文字の多いラーメン屋

なんせ苦手なものが主題なもので、写真などは当然なく、テキストだけでお伝えすることをご了承いただきたい。

ひもねす食事にありつけない時は、大概その日の気分で散歩をしながら食べるものを探す。よほど気分が良いとか、仕事のキリがいいとか、そんなことがない限りだいたいは簡単なもので済ませてしまう。今回のラーメンもその機会で食すことが多い。

街には星の数のごとくラーメン屋が存在するので、歩いていて何となく行き当たったところに入るのだが、まず気にするのは店内の鬱陶しさである。人がいるいないではなく、文字があるかないか。店内空間でどれくらい文字が埋まっているか。

「こころを込めてお作りしています!」
「店名の〇〇は私の師匠である‥」
「笑顔は幸せを呼ぶ!」
「最後の一滴までご賞味ください!」
「美味しい食べ方!その1‥」
「原材料には名古屋コーチンや‥」

などなど、壁やカウンターに貼ったり置いたり。
とにかくその文字が外から視認できるほど多ければその店は避けるようにしている。中が見えない場合は非常に迷い、入店時に引き戸を開ける時には緊張を覚える。いかに店外メニューの写真が美味しそうでも、それだけは避けたいのだ。

ラーメンハゲのいうラーメンを情報で食う、というのはまさにこのことであるが、
そもそも私は全く情報を食っている意識はない。アーティストの展覧会に行って作品を見る前にテキストで興醒めしてしまうことがあるのだけど、その類かもしれない。純粋にお腹が空いているから食べるだけなのに。

そんなに色々言われるとラーメンに自信がないように思えるが、よくよく考えれば言葉や情報で食べる前にハードルを上げまくるということは、逆に自信があるのか‥?

というか食べる前にそんな色々考えたくない。食券機にぼーっとお金を入れて、その店の売りっぽい一番上のメニューをタップして白目を剥きながら待ちたいくらいだ。こういう色々考えてしまう人にとって、ラーメン屋のテキストは疲労にしかならない。

特に「笑顔は幸せを呼ぶ!」「こころを込めてお作りしています!」系の、それがなんなのさ。みたいな気持ちだけで書いている文字が耐えられない。極力目にしたくない。

僕は昔から根性論で投げかけられる乱暴な言葉や、体育会系のノリなどがとても苦手である。高校で野球部にいた(これについては別の記事で詳細に書く)ころ、全然自分の対極にある価値観でスポーツをやらなくてはいけないことに苦しんだ経験がある。坊主にすることや、無意味にたくさん偏った栄養素の食事を摂取させられたりはもちろんだが、投げかけられる言葉もガッツだのやる気だのもっと気持ちを前に出せだの、無根拠で無駄に厳しいものが多い。それがなんなのさ。と言いたくなるし、プレーに集中できない。そして一番最悪なのが、それを自分でも言わなければならないこと。虚無の激励がグラウンドに飛び交う。その空間が非常に苦手だった。

根性系ラーメン屋に行くと、どうしてもその頃を思い出してしまう。食べる時に無駄に肩に力が入ってしまう。ただ、お腹が空いてラーメンが食べたいだけなのに。

自分の仕事に置き換えて考える。
コンセプトやキャプション、経歴の書き方など、いかに作品そのものを装飾しないで据えることができるか。それは結構意識していることだ。逆に言うと説明不足かもしれないけど、だからこそ見てくれた人の質問にはできるだけ答えたいと思う。
そういう意味で、僕にとって情報で「見る」人との相性は、あまり良くないかもしれない。

最近はそれでもいいや。と割り切っている。

20231023

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