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(長編童話)ダンボールの野良猫(二十四)

 (二十四)卑劣な弱点攻撃
 クリスマスも終わり、迎えた大晦日の夜。TVでは紅白歌合戦(アーティストのノラ子は、この番組も出演を辞退)の前に、日本レコード大賞の授賞式が放送された。新人賞はノラ子が辞退したこともあって、いまいち盛り上がりに欠け、結局Mr口谷による審査員の買収で、マンモス盛子が最優秀新人賞を獲得。その為巷では、あんな下手くそが取るなんて、どうせ出来レースなんだろうと囁かれる始末。実はこの不正以来日本の歌謡曲は徐々に魂を失い、やがて衰退していくのだった。
 そのMr口谷は、ノラ子への復讐を無論まだ諦めてはいない。何か世間に怪しまれずに芸能界から永久に抹殺する良い方法はないかと、探偵を雇ってノラ子の身辺を洗わせた。そして探偵は、ノラ子の肉体的弱点である不完全猫的再生症候群という恰好のネタをつかんだ。
「なに、何だと?それはまじかよ?」
 報告を受けたMr口谷の喜び様と言ったらない。
「はい、間違いありません。Mr口谷様」
 まんまと高額の報酬ゲットで、こちらも笑いの止まらぬ探偵。
「てことはだな。簡単な話、ステージで興奮させりゃ、いいってことかよ」
「で御座います」
「そうすりゃ、肺に負担が掛かり過ぎて、奴さん、ほっといても窒息しちまうって寸法だ」
 とは、てめえこそ興奮で、卒倒しそうなMr口谷じいさん。早速何やら、良からぬ計略を企てる。

 そして西暦一九七六年の正月。
 そんなこととは露知らず、年末年始しっかりと休んで、熱海の温泉で疲れを取ったノラ子一同。さあ、正月休みも明け、ノラ子は心も新たに歌い出す。ノラ男の分まで、この世界を良くしようとの祈りを歌に込めて。
 活動は勿論、地道なコンサート回り。詩を断ったノラ男に代わり、作詞もノラ子が手掛けた。出来上がった新曲を引っ下げて、先ずはニューイヤーコンサートツアーを、武道館からスタート。コンサートの幕が上がるや、会場は興奮の坩堝と化す。しかし派手なパフォーマンスは、バンド、ワイルドキャッツのメンバーに任せ、ノラ子は呼吸困難に陥らぬよう極力興奮を抑えつつ、クールに歌い上げる。会場の外では、この冬初めての雪が、首都圏に舞い落ちる。
 コンサートが終わると、ノラ子は待ちかねたように外へ飛び出した。響子とノラ男の見守る中、雪と戯れる。降り頻る雪の中で、くるくると踊り、掌に乗せた雪の一片に向かって歌い掛けるその姿は、童女の如き煌めきを放っている。
「ほんと、ノラ子って面白い」
 響子が白い息吐き吐き呟けば、ノラ男は寒さに震える彼女の肩をそっと抱き寄せる。
「いつまでもノラ子の世話になってる訳にもいかないから、そろそろぼくも仕事探さなくちゃ」
「そうね。でも、も少し待って。Mr口谷の奴、また何仕出かすか、分かったもんじゃないから。せめて今のコンサートツアーが終わるまで」
「わかった」
 ここでふたりは、雪と遊ぶノラ子の様子を眺めながら、こっそりと大人の会話。
「でもノラ男、本当にいいの?わたしなんかで。この年じゃもう、子どもだって産めないのよ」
「またそんなこと言って。響子こそ、ぼくみたいな若造でいいのかい?」
 うん。黙って頷く響子。

 いいも悪いも、好きになったら関係ないものなのね。知らなかったわ。ほんと、この年になるまで。ばかみたい、わたし。こんなおばさんの癖に、今更恋に落ちるなんて。響子は苦笑い。でももう、ノラ男の腕から離れらんない。まさかこの年になって、女の幸せが巡って来るなんて。神様って、やっぱりいるのかしら?神様って意地悪ね。今のこの幸せが夢ではあるまいかと、響子は厚化粧の頬の肉をつねらずにはいられない。
「これもみんな、ノラ子のお陰。思い出すわ、一年前、去年の元日」
 響子は降り続く雪を眺めながら、あの夜明けの時を思い出す。
「ノラ子ったらね、若葉荘のドア叩いて、行き成りわたしのこと、ママっ、なんて呼ぶの。吃驚しちゃった」
 嬉しそうに話す響子に、黙って頷くノラ男。
「でもほんと、ノラ子って何処から来たのかしら?何処で生まれて、二十歳になるまで何処でどうやって暮らしていたんだろ。不思議よね」
「彼女はね、自由なんだよ。例えば野良猫みたいにね」
「野良猫かあ。でも自由はいいけど、寂しくないのかしら、ひとりぼっちで」
 するとノラ男は、かぶりを振る。
「野良猫はね、どんなに寂しくても、野良猫は野良猫としてしか生きられない。そんな子なのさ、ノラ子は」
 そうね、そうかもね。泣きそうな顔で頷く響子。自分だけ幸福になるのが、ノラ子に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでならないのだ。
「ママ、見て。ほら、雪だるま」
 そんな響子の耳に、ノラ子の澄んだ声が響く。見るとノラ子の掌には、小さな雪だるまが。それはかき氷のように透明で、ノラ子の手の温もりによって既に融け始めていた。
「ノラ子、もうそろそろ帰るよ。みんな、風邪引いちゃうから」
「はーい、ママ」
 顔をまっ赤にして、ノラ子は響子とノラ男の許へ駆け寄る。雪は徐々に弱まり、やがてもういつ止んでもおかしくない空模様。灰色の空の隙間からは、ちらほらと星の瞬きが寒そうに顔を覗かせていた。

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