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(長編童話)ダンボールの野良猫(十五・二)

 (十五・二)デビュー決定
 程良い緊張がノラ子の美声を震わせ、それはマイクを通して鼓動となって観衆へ、お茶の間へと伝染した。どよめきが生まれたかと思えば直ぐに消え去り、鳥肌また鳥肌の聴衆、TVの前の一般市民たちはただ今目の当たり、否耳当たりにした歌と名付けられた奇蹟、ミラクルに抱き締められ口あんぐりぐり、ただ呆然と生きて存在するのに精一杯だった。即ち死んだような沈黙と静寂だけが、辺りには落ちていた。
 何だ、一体この感動は。これが人類の発する歌声だって?まさか、天使のそれの誤りではあるまいか。そんな理屈などどうだってよい、この郷愁は何処から来るのだ……。気付けば誰もが目頭を熱くさせ、頬に滴り落ちる涙の流れるに任せ、唇の震えるのに抗い切れずにいた。
 郷愁。そうだ、これはまだ物心も定まらぬ遠い幼き日、母の背に凭れ夢に微睡みながら、聴くともなしに耳にした子守唄の調べ。いや違う、まだこの惑星に命も誕生するより前に生命の元となる宇宙原子たちが宇宙を流離い、あてどなくこの星に辿り着き、まだ出来立てほやほやの原始の海の浜辺に佇みて聴いていた、絶えることなく打ち寄せる潮騒にも似ん。いずれにしても誰もが既に失いし遠い日の記憶の中へと自らの魂を帰らせ、ノスタルジィに浸り、少年の日の夢に或いは少女時代の憧れに遊んだ。何という歌声、何というやさしさ、何と繊細な、そして何という温もり。歌うはまだ無名の素人、二十歳の小娘だというのに……。
 歌い終わるとノラ子は、深々とお辞儀した。その瞬間、場内は破裂せんばかりの大歓声、怒涛の拍手喝采が巻き起こる。ブラボー、ブラボー、我らがノラ子!今彗星の如くこの国にいやこの星に出現したるは、絶世の奇蹟の歌姫。その名はノラ子、ノラ子、ノラ子ーーっ!観客は総立ち、お茶の間はお茶の間でTVに噛り付いて、止まらない拍手拍手が隣近所に響き合う。

 舞台の裏では響子と真理が抱き合って、初舞台の成功を祝福し合う。
「やったわね、大成功」
「ありがとう。これもみんな、真理さんのお陰よ」
「駄目よ駄目、夢野さん。こんなこと位で泣いてちゃ。まだまだ先は長いのよ。歌姫ノラ子の奇蹟の旅路は、今やっと始まったばかりなんだから」
 くーっ、いつもはクールな真理も珍しく興奮気味。単なる歌好きの女学生に戻って、頬は上気し声は上擦りまくりだった。
 予選の選考結果発表。大歓声の中、ノラ子は満点にて楽々と予選突破を決める。しかしノラ子は流石驕ることなく気を引き締め、ただ前を見る。
 ドリーム誕生では予選通過後、後日放送する本選考会にて芸能プロダクションの指名を得られれば、指名してくれたプロダクションと契約を交わし、晴れてプロデビューの切符を手に入れることとなっている。既に所属するプロダクションの決まっているノラ子は、出来レースと言えば言えなくもないのだが……。
 が予選選考会の放送で、世間に与えたノラ子の衝撃たるや破壊的。次の本選考会がゴールデンウィーク明けの五月十一日の予定とあって、キー局であるドリームTVには不満と苦情が殺到。
 おいおい、冗談はよしこちゃんだぜ。一ヶ月以上も待てなんて、そんなの無理子ちゃんざんす。お願い、早くノラ子の歌を聴かせて。あー気が狂いそう、俺のノラ子が見てんだよ、まったく。本選考会なんてどうでもいいから、さっさとデビューさせなさいよ。それが視聴者の、いや全国ノラ子ファンの総意です、ぴしっ!
 てな訳で、ドリーム誕生・予選選考会の反響たるや凄まじく、まだプロにもなってないのにノラ子旋風がハリケーンとなって日本列島を横断縦断、縦横無尽に巻き起こる。ドリームTVの敷地前には連日連夜、にわかファンやら野次馬が押し寄せ、「ノラ子、ノラ子、ノラ子!」の大合唱。TV局の回線はパンク寸前。これじゃ、仕事なんないわあ。誰か何とかしてくれよ……。のパニック状態。仕方なく、はいはい分かりました。と、翌週のドリーム誕生で、司会の二郎さんが一大発表。
「異例中の異例では御座いますが、本選考会をすっ飛ばして、我らがノラ子のプロデビューが決定致しましたーーっ。全国津々浦々のファンの皆様方、ノラ子の歌声がお耳に届くまで、もうしばらくお待ち下さいませませ」

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