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(長編童話)ダンボールの野良猫(五)

 (五)黒猫登場
 夏も終わる頃、ダンボールの野良猫ノラ子の暮らす原っぱに、一匹の野良猫が現れる。
 見ればオスの黒猫。ノラ子は早速、闘争心剥き出し。こいつ、原っぱを乗っ取りに来やがったな。にゃーおーっ、とっとと出てけーっ、とばかり威嚇する。ところが相手は冷静沈着。何と言われても、挑発には一切乗って来ない。これにはノラ子も臆病者めえと、拍子抜け。しかし黒猫曰く、
「もうぼくは、闘争なんてこりごりなのさ。後生だからこの原っぱの隅っこに、いさせてくれないか。そうしたら日がな一日大人しく、詩でも書いて過ごすから」
「えっ。何書いて、過ごすって」
 不機嫌そうに聞き返すノラ子に、黒猫は丁寧に答えた。
「詩、だよ」
「だから、何、それ」
「詩のことかい」
 頷くノラ子に黒猫は面倒臭がらず、やっぱり丁寧に説明する。
「詩。それは、魂の叫びさ。自らの存在意義を問い、この宇宙の神秘を解き明かすもの」
「くーっ、このきざ野郎。でもそれって、歌とは違う訳。生憎わたしは今、歌に夢中なんだけど」
 そう言うとノラ子は『夏の思い出』を歌って聴かせた。と言いたいところだが、ノラ子は歌っているつもりでも、黒猫にはただ「にゃーにゃー」とノラ子が鳴いているようにしか聴こえない。しかしおべっかを忘れない黒猫。
「へえ、それが歌かい。なかなかよさそうじゃないか」
「そうでもないけど」
 ノラ子は照れ笑い。
「いずれにしても、この星に生きるすべての生きものに喜びを与え、この世界を美しくしてみんなを幸いへと導く為に、歌も詩もあるんだよ。その為にぼくなんか、一生懸命詩を書いてるって訳」
「ふーん、そんなもんかな。ま、いいや」
 ノラ子は少しばかり、歌の存在意義に触れた気がした。そのお礼と言うのでもないけれどノラ子は、黒猫が原っぱの隅っこに定住することを許した。こうやって黒猫はノラ子に遠慮しつつ、原っぱの片隅で暮らし始めた。

 そんな黒猫に、ノラ男、と名を付けたのが、響子だった。響子は夏が去り秋が来ても、ノラ子に『夏の思い出』を歌って聴かせた。
「だってノラ子、わたしにはこの歌しかないんだもん。ごめんね」
 原っぱにはひんやりとした風が吹き、落葉、枯葉が舞い踊る。空中には赤とんぼが飛び回り、夕暮れともなればメランコリックな黄昏気分。響子が気持ち良さそうに歌っていると、いつのまにやらノラ子の隣りに、ちょこんと座っている黒猫一匹。
「あら、ノラ子の恋人かしら。ねえ、ノラ子、妬けちゃうなあ、まったく。初めまして、わたし、夢野響子。よろしくね。ええと、きみは黒猫の、ノラ男くん、でいいかしら」
 響子に頭を撫でられれば、たった今ノラ男と命名された詩人気取りの黒猫ノラ男もそこは猫。恍惚たる表情で、じゃれ付いていかずにはおれない。
 野良猫たちとじゃれ合っていれば楽しいし、家族と一緒にいるようで、ひとりぼっちも忘れさせてくれる。響子は仕事に疲れた夜でもご馳走を用意し、ついつい原っぱへと足を運ぶ。
「あんたたちは気楽でいいわねえ。人間様の娑婆なんて、もう大変よ。せっせせっせとお金稼がなきゃやってらんない。も、ほんとやんなっちゃう」
 幾ら愚痴れど、相手は野良猫たち。わっかる訳ないかと思いつつも、響子はついお喋りしてしまう。
「でもわたしなんか、まだ仕事あるだけましな方でね。ほんとに困ってる女、子どもなんか、体売ったりして生きてかなきゃなんない。嫌な男のいいなりになってさ、まったく。ああやだ、やだ。ほんと可哀相で涙ちょちょ切れちゃう」
 見上げれば、まん丸いお月様も、地上の人間たちが不憫でならぬと夜の闇を精一杯照らしてくれているようでやるせない。
「あんたたち、間違っても人間なんぞに生まれ変わって来ちゃ駄目よ。碌なこたないからねえ。いーい、猫のまんまでいなさいよ、ふたり、じゃない二匹とも」
 ふわーっと大欠伸の響子。ノラ子もノラ男も既に響子のご馳走を平らげて腹一杯。釣られて、ふにゃーっ。
「あらあら、みんなして眠そうね。じゃまた明日来るから、お休みなさい」
 手を振る響子を、仲良く見送るノラ子とノラ男。

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