見出し画像

(長編童話)ダンボールの野良猫(二十五・一)

 (二十五・一)ファイナルステージ
 西暦一九七六年二月二十九日。
 全国を縦断したノラ子のニューイヤーコンサートツアーも、いよいよファイナルステージを迎えた。会場は東京に戻って、日比谷野外音楽堂。
 その日は朝から曇り空。いつ天気が崩れてもおかしくなく、もし降り出せば予報では雪となる模様。開演は十八時。入場口には早くからノラ子ファンの客が押し寄せ、長蛇の列を成して今か今かと開演を待ち侘びていた。しかし実はその中に、Mr口谷の命によって雇われたエキストラが多数紛れ込んでいた。
 彼らの目的は何か。勿論ステージで歌うノラ子を興奮させること。その為にコンサートを目一杯盛り上げ、ノラ子をがんがん乗せちまえ。そしたら声援に応えようとして、ノラ子は必死になって歌うであろう。というのが、Mr口谷からの指令。
 そしていよいよ灰色の空の下、コンサートは幕を切って落とされた。
「みんなーっ。寒いけど、いくわよーっ」
「イエーッ!」
 ワイルドキャッツのメンバーも乗り乗り。寅吉のドラムが弾け、玉三郎のギターがすすり泣く。三毛造のベースが唸れば、ミー子のキーボードはあくまでもクールにアドリブを利かす。オープニングから野音は極寒を吹き飛ばす異様な熱気でムンムンし、これ以上ない盛り上がりを見せた。それもその筈。例のエキストラ軍団が、雁首を揃え最前列で指令通りの応援パフォーマンスを繰り広げたから。
「ノラ子、ノラ子、我らがノラ子!」
「シャウト、ノラ子。俺たちを天国に連れてって」
「ノラ子、お前だけが唯一の希望、本物の天使。俺たちの魂を、憎しみの鎖から断ち切ってくれ」
「ぼくたちは忘れない。歌によって人々を救った、ノラ子という歌姫がいたことを」
「ブラボー、マンボウ、ブラボー、マンセイ。グレシャス、デリシャス、サンクス・ゴッドにオーマイゴッド。何だか訳分かんないけど、兎に角最高ーーッ!」
「俺たち、もうノラ子の歌がなくちゃ、とても生きてゆけなーーい」
「WE LOVE ノラ子!きみこそ永遠の女神、大明神」

 ウオーッ。観客はもう総立ち。声援は唸り声となって嵐を呼び、木枯らしが渦を成して会場に吹き荒れる。コンサートのラストに近付く頃には、遂に雪も降り始めた。ノラ子が叫ぶ。
「ねえ、みんな聴いて。ほら、雪だよ」
 しーん。
 ノラ子の声に歓声が止み、会場は静まり返る。歌い終わった直後のノラ子の呼吸は、はーはーっとまだ荒い。スポットライトに映し出されながら、大気中へと上昇し消えてゆくノラ子の息の白さよ。ノラ子は掌を広げ、落ちて来る雪のひとひらを受け止めた。
「ほら、耳を澄まして。聴こえて来ない、何かが?」
 ノラ子の言葉に従い、みんなは息を潜め耳を傾ける。
「聴こえるでしょ、みんなにも。ねえ、ほら、雪たちの歌が」
 囁くようなノラ子の声に、頷く者、ため息を零す者、観客の反応は千差万別。再びノラ子が叫ぶ。
「これが、雪たちの歌が、ノラ子の歌の原点」
 ウオーッ!再び歓声と拍手が湧き起こる。そして歌い出すノラ子。それはソフトなラヴ・バラッド……。

『わたしの心は雪
 あなたの熱で融けてゆく
 わたしの心はひとひらの雪
 今もあなたをさがしている
 この凍り付く都会の夜のかたすみ
 今にも融けそうなわたしの心が
 あなたには見えませんか……』

この記事が参加している募集

私の作品紹介

猫のいるしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?