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あんなに怯えてたあの日の事を忘れてしまうの?

国に帰ってきた。視界の隅まで、何が起きているのか分かった気になれる土地で、学生のころ着ていた服をちょっと地味に着こなして、私の知ってる言葉で私を褒めてくれる人たちに囲まれて。文脈0の土地で向き合った醜い感情は、縫合され癒えていく過去と現在の下で、冷えて固まりつつある。

就活をしたり、アルバイトをしたり、勉強をしたりした。金を稼ぐこと、学びたいことを学ぶことに何の疑いもなかったから、シフトとレポート締め切りとで飛ぶように過ぎていく時間を、いつもみたいに恐れることはなかった。

シェアハウスに暮らし、運転免許を取り、そして一人暮らしを始めた。人並みになるためにしていることなのに、調べたり探したりしている間は生活がそれ一色になるから、年を取るにつれ上がっていく人生の難易度に追いついていけるか不安になる。しかし、二十数年この国で生きた文脈があるから、手続きさえ踏めば用が足せるというイージーさに病みつきだった。

「2年も海外に住んでたら、日本なんてつまらないでしょ?」と言われた。そんなことはない。楽しくて仕方がない。かといって、日本が優れているとも、日本の方が好きだとすら、私には言えない。

生まれた場所が楽。みんなと同じでいられて安心。私はその程度の器なのだ。

今、凪のように日々が落ち着いて、過去と未来のことをぼんやりと考えている。

飛ぶように過ぎた時間、こなした手続き。会った人、言ったこと。全部他人事みたいだ。
来月からは働くらしい。なんでここなんだっけ。面接で何言ったんだっけ。なんで夢を追わなかったんだろう。あ、夢なんてなかった。

大人になってからずっと付き合っているこの無力感。ノートを広げて正対しても、自分の国を飛び出しても、消すことはできなかった。既にものすごい時間を失った。

これが私の器なんだろう。こんなの嫌だと思いつつ、変え方も、悩みの正体も分からない。解像度の低い画面に、緻密な芸術は映らない。筋肉が足りなければ、脳が求める走力に手足は応える事ができない。

自分のスケールを悟ったこと。それを海外生活の学びだとかこつけて、私は動いている。せかせかと、ヘラヘラと、ブヒブヒと。

目の塞ぎ方を心得た国で、褒めてくれる人たちの前でヘラヘラ笑って、暮らす私は幸せな豚だ。

豚は物を書かなくても死なない。今の私には何も書けない。

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