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乱される感情の奥に向き合うと

もう終わったことなのに、とても感情が乱されることってありませんか?わたしはこれよくあるの。でも感情が乱れて、その先にあったのは歪な好きな表現だったなーって気づいて。だから、次からはもっと優しく素直に好きと愛を表現できたらなって思ったんよな。

ことの発端

元彼とはコミュニティが一緒だし、何よりFacebookで繋がってるから彼の動向が余計目につく。だから、彼がnoteを書いてたり、Facebook に投稿してるとつい見ちゃうのだ。見ないようにしてるつもりもないからつい見ちゃう。そして、彼がまた本当に人が大好きでチャーミングでなんだか素敵な人だから、みんなも彼にコメントとかして本当に愛される人なんだ。

そんな彼を見てると心が乱れる。

どう乱れるかっていうと、不安と不足感と苛立ちと自分を嫌いになる感覚、そして悔しさや羨望、そしてにくたらしいな!みたいな感じなのだ。


ただ振り返ってみると自分に気づく。わたしがこの不安や不足そして憎たらしさを勝手に創り出してたんだなって。乱される原因はわたしがつくってた。


わたしは中身があんまり詰まってない。どういうことかっていうと、経験があまりないってこと。いろんな体験、経験を積んでないから誰かから借りてきた言葉で話したり、自分の内側から出てくる言葉として話せてない。そんな感じ。漫画とファンタジーが大好きで読みあさり、妄想に暮れる。そんな生活を送ってきた。

かたや彼は沢山の体験、経験をして本当にいろんなことを乗り越えて今ここに立ってる人。自分の体験、経験から言葉を発し、何よりその体験、経験から来る自分への信頼が、強い。

そんな彼はわたしにとなりにいてくれるだけでいいよと言ってくれていた。(多分感じるに、彼はそれは言葉だけで、本気ではなかった)

ただ、言葉通り受けて、あるがままの自分でよかったんよね。そして、そうじゃなくても等身大の自分であればよかったんよね。

けどわたしは、勝手に彼に釣り合わねば、彼と同等でなければ隣には居れないって決めつけて、ないものをあるかのように見せなきゃって思っちゃったんだ。つまりは、嘘をつくこと、虚勢を張ること。

好きだから、釣り合わなければならない。釣り合うためには彼と同等の価値を持っていなければならない。それは自分にはない体験、経験があるように振る舞わなければ。そういう感じで、自分が素直ではいられない自分でいるべきと自分で定め、虚勢を張り、相手と張り合い、何より自分を欺いていた。その結果として、彼を傷つけまくり、同時に自分も傷つきボロボロになった。


ただ、彼が好きで好きな彼にもっと好きになって欲しかっただけなのに。


乱される感情の奥には、好きな人ともっと親密になるには?というわたしの思いから来る、歪な好かれるためにはの構図があったの。好きだから、好かれたい。好かれるためには同等でなきゃだめ。同等であるためには、わたしも何かしら価値を示さなきゃ。自分には何もないから虚勢を張ろう。

そんな感じで。


自分が自分であるって本当に大事。それを許可できて初めて人と対等になれる。せめて今日からは目の前の大切な人をただ素直に等身大で愛そうって思えた。

こう思わせてくれた支えてくれる人たちに感謝




お氣持ちが素敵だわ