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#62 匂いの記憶

 最近、休みの日に朝というか深夜1時とか2時頃に目が覚めることがある。仕事で気になっていることがあって目が覚めるのは辛いけれど、それとは別のようだ。むしろ気持ちがリラックスしているので目が覚めるみたいな(楽しみで?遠足か!)。また眠りに落ちることもあるけど、大抵は暫くぼおっとしている。すると意識が夢と現(うつつ)の間を勝手に彷徨って、うつらうつらといろんなことを考える。その移ろいを楽しんでいる。
 昨日の朝は雨で、日の出が遅くなった分まだ暗いうちにゴミ出しに行ったら、脇のお宅の金木犀が開いていて、ふっくらとした秋の匂いが雨に濡れてしっとりと感じられた。学生の頃住んでいたアパートの玄関の向かいにも大きな金木犀があって、夜「飲みに行くか!」と玄関を開けると、昼には気付かなかった匂いによくハッとしたものだ。
 嗅覚は視覚や聴覚に比べるとより脳に近い気がする。一瞬で時空を超える直感的な感じ。うまく言葉では表現できないけれど、夏の匂いがするなとか雨の匂いだなとか冬が来たなとか。逆にはっきりしている匂いもあって、私にとっての秋の夕暮れは、稲刈りが終わった田んぼの匂いだ。中学生の頃、部活帰りにだんだん暗くなるのが早まってくる田んぼの中を自転車で走りながら嗅いだ、まだ刈ったばかりの藁の匂い。
 子供の頃、実家の縁側は濡れ縁だったのが、小学校の途中で前面にサッシを入れた広い廊下になった。両端に私と妹の机が置かれた廊下は日当たりがよく、真ん中に父が貰ってきた3人掛けのソファがあった。土曜の午後には、よくレコードを掛けながらぽかぽかのソファでウトウトしていたのだが、後年、ある場所でたまたま廊下と同じワックスの匂いを嗅いだ時、あっという間に意識が中高時代の土曜の午後にタイムスリップしたのには驚いた。
 団地の裏側にあったその歩道は、多分川が流れていた場所を暗渠化して作られたもので、その北側も木が茂っていたから日陰がちだった。駅に行くにはいくつも選択肢があったのに、梅雨の時期にあえてその歩道を通っていたのは、両側にクチナシの木が植えられていたからだ。何十年も経ったある日、どこからか流れてきたクチナシの香りに拉致されて、気付くと私はその歩道に佇んでいた。あの頃、彼女の部屋からの朝帰りに通っていた道。途方に暮れるとはこういうことか…。
 

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