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要約とディテール

 最近、本を読んだり映画を観たりしているときに、「要は何が言いたいんだろう?」と考えている自分に気付くことがある。おそらく悪いことではない。相手の意図を正しく理解することは大事なことだし、世の中は意図が伝わらないことで不必要に複雑になっている。ただ、と思う。何でもかんでも要約してしまうと、それで安心してしまう一方で、せっかくの豊かさが知らない内に零れ落ちてしまうことはないだろうか?例えば、林檎をそのまま齧ることと100%濃縮ジュースを飲むことが同じではないように。若い頃は全体が見えずに、細かな部分に反応していた気もするから、年齢に伴う変化なのかもしれない。多分どちらも大切なことなんだろう。
 昔、太宰が新作について「一言でいうとどういうことですか?」と尋ねられて、「ヒトコトデイエナイカラコレダケコトバヲツイヤシテイルノダ!」みたいなことを書いていた気がする。話題の大作も何が伝えたかったのかなと考えてみるとそのメッセージは意外とシンプルなことが多いけど、かと言ってそれが分かればOKという訳でもなく、それを伝えるために費やされた時間や言葉や表現を味わうことに意味があって、場合によっては「何が何だかさっぱり?」でも「あの一言、あのワンシーンには痺れた!」ならそれでもいいように思える。
 世の中はどんどん忙しくなって、今では映画は倍速、読書は粗筋、音楽はイントロ無しのサビからという時代だ。「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」という標語が流行ったのはたしか’70年代。あれから既に半世紀経つけれど、日本の忙しさはどんどん加速度を増しているようだ。もういい歳になってきたので、そろそろ効率化の呪縛から逃れて、一つ一つのことをゆっくり味わいたい。「神は細部に宿る」とも言うし。この頃、昨年読んだ「街とその不確かな壁」に出てきた林檎の樹を燃やす暖炉のことが妙に思い出される。要約には出てこないだろうけど、きっと仄かにいい香りがするんだろうなあ…。

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