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#77 鉄のライオン

 久しぶりに重松清さんの本を読んだ。きっかけは「1981年3月、東京。ひとりぼっちから始まる物語」という文庫本のコピー。「鉄のライオン」には、'81年の春に上京して学生生活を始めた主人公の、ちょっとほろ苦い12の物語が収められている。ちょうどその1年前、'80年から東京での一人暮らしを始めた地方出身者として興味をひかれて読み始めた。
 私には、一緒に上京して受験をした彼女も、六本木を案内してくれる年上の女性もいなかったけれど、時代背景はまさしくドンピシャで、基本的に貧しくてそれほど熱心に授業に出ていない状況も同じだった。読みながら「そうそう!」と思い出したことの一部を書き出してみると…。
 佐野元春の1stアルバムは、アパートの部屋が左隣りのTから頼まれて録音した。カセットをもっていくと、部屋には「赤いのください!」と言って買ったという冷蔵庫がコーナーから部屋の中央に向いて斜めに置かれ、愛知出身のTが「これが旨いんよ」と言って赤だしの味噌汁を振る舞ってくれた。
 当初アンプとレコードプレーヤーを優先した私の部屋にテレビは(スピーカーも)無く、ある日古道具屋で2,3千円の白黒テレビを見つけてきた。その台にするのに丁度いい机を友人がくれるというので、夜明け前の世田谷線沿いを延々と歩いて持って帰った。歩くといえば、ある日戸越銀座の飲み屋さんで唄を歌わせてもらって、何故かその夜スネアを抱えて延々と環七を歩いたこともあったな。
 バンドをやっていた右隣り部屋のKが三軒茶屋の飲み屋でバイトをしていて、ライブの日に時々ピンチヒッターで皿洗いをした。開店前、大根をおろしている時に聞こえていた有線がいつの間にか喧噪でかき消されて、閉店後、片付けをしている時にふと気付くとまた有線が流れている。その瞬間の、「一日終わった」感のある静けさが好きだった。
 ふぞろいの林檎たちが放映された'83年は正に就活の年で他人事ではなく(当時就活は4年時にやっていた)、サークルの夏合宿でも放送が始まると全員がテレビの前に集まって観ていたっけ。ディズニーランドがオープンしたのも'83年で、当時付き合っていた彼女があんなに行きたがっていたのに、人混みが苦手な私は何となく気が進まず、もう少し落ち着いたらとか言っているばかりで結局二人で行くことはなかった。彼女は友達とは行っていたけれど、思えばあの辺りが敗因だったのかも?40年も経った今頃になってようやく気付いてもねぇ、間抜けすぎる…。 

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