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#82 Pathetique=悲愴?

 私には、残念ながらクラシックについて語る蓄積はない。が、どうした訳かチャイコフスキーの6番だけは高校の頃から愛聴していた。ムラヴィンスキーの指揮で、レニングラードフィルハーモニー管弦楽団が演奏したレコード。チャイコフスキーを初心者向け扱いすることもあるようだけど、私の中では彼はポール・マッカートニー並みのメロディーメーカーだ。もし自分の葬式というものがあるのなら、読経の代わりに6番の第4楽章を流してもらいたいと思っている。それは、人が人生の最期に走馬灯を観ているような楽章で、ただその美しさを聴いてくれてもいいし、その間に何か思い出すことの一つでもあれば本望というものだ。
 昔から「悲愴」というタイトルにしっくりこないものを感じている。フランス語のPathetiqueの訳で、その1世紀前に作曲されたベートーヴェンのピアノソナタ8番と同じだ。語源はギリシャ語のPathosだから、何かしら感情的な表現であることは間違いないとして、2曲を通して聴いてみたとき、悲しみと言うより何かもう少し夢見るようなニュアンスを加味できないものだろうかと思う。語学に堪能な方の提案を待ちたい。
 数年前に、近くの市で6番の演奏会があった。熱のこもったいい演奏で、第4楽章の出だしを楽しみにしていたら、あろうことか第3楽章が終わったところで盛大な拍手の嵐!その拍手が鳴りやまない中、海外から招待された指揮者は第4楽章を始め、まだ終わりではないことが分かって拍手が止むまでにしばらく時間がかかった。既に冒頭の繊細な部分は過ぎて、結局その日演奏後のアンコールに指揮者が顔を出すことはなかった。気持ちは分かる、哀しい出来事だった。悲愴というか悲惨というか…。
 勤務先が渋谷だった頃、あるひどく疲れた午後に道玄坂の百軒店にある名曲喫茶ライオンに倒れ込むように入った。抜けそうな木の床を進んで、正面のスピーカーに向かい合ってテーブルに突っ伏す。すると、半分眠っているような耳に流れてくる聴き覚えのあるメロディー。ああ、チャイコフスキーの6番か…。ほんの数十分だったけれど、あの時は何だか随分救われたなぁ。ああいうのをゴールデン・スランバーというのかもしれない。やけに聴き慣れた演奏だなと思って出掛けに見たら、レコードはやっぱりムラヴィンスキー盤だった。

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