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#33' 月('23.7.15)

 秋でもないのに唐突だけど、月が好きだ。優柔不断な私にしては珍しくきっぱりとした物言い。どれくらい好きかというと、毎日暦を眺めて月齢を確認する位。要は、今でも陰暦で暮らしているのだ。日本の美と言えば花鳥風月・雪月花、7つの曜日を加えて(曜日は天体だけど)三冠を獲れるのは月だけだ。勿論太陽も大事だし、太陽があっての月だとは思うけど、どっちが好き?と聞かれれば迷わず月と答える。
 月は表情を変えていくのがいい。上弦までの月は何となくみんな三日月扱いされたりするけど、月は一日ごとに違う。三日月は一日だけで、例えば地平線すれすれに儚い二日の月を見つけた時の喜びはまた格別だ。満月を過ぎた月を一日ごとに十六夜(いざよい)、立待、居待、臥待、更待(ふけまち)と呼ぶきめの細かさ、下弦を過ぎた月齢二十六日の月を鏡三日月と名付ける発想の豊かさ、日本に生まれてよかったなあと思わずにはいられない。
 江戸の頃には、二十六夜待ちという遊びがあったらしい。水平線から上がる船のような月に現れる弥陀・観音・勢至の三尊を拝むというもので、旧暦の7月26日、夏の夜に趣向を凝らしながら遅い月の出を待ったという何とも粋な遊びだ。特に盛んだったのは高輪から品川辺り、高台に陣取ったり海に舟を浮かべたり、想像するだけで楽しそうだ。
 そんなだから、唐で阿倍仲麻呂が「天の原ふりさけ見れば春日なる…」と詠んだ昔から、月は歌に絵に小説に映画にとひっぱりだこだ。夏目漱石はI Love Youを「月がきれいですね」と訳し?、吉田博や川瀬巴水は版画とは思えない技術で月の光を描いた。淀川長治はベルトルッチ監督に「シェルタリングスカイで月は1回だけだったね」と称賛し、三島由紀夫は「豊穣の海」の最終巻を入稿して割腹した。(「豊穣の海」は月の海の一つで、優美な言葉のイメージとは裏腹に、現実には荒涼とした世界なのが示唆的だ)
 勿論音楽にも月は大人気で、Fly Me to The Moonは言うも更なり、ニーナ・シモンが歌うEveryone's gone to The Moonもグッとくる。桑田佳祐の「月」には四十男の哀しみが滲んでいるし、「上を向いて歩こう」だって月が出ていないと様にならない。枚挙に暇はないけれど、1曲だけと言われたら、私はやっぱり清志郎の「多摩蘭坂」かなあ。

 お月さまのぞいてる
 君の口に似てる
 キスしておくれよ
 窓から 🎵

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