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#70 秋祭り

 私の育った村の北の方に昔大男が引っ張ってきたという山があって、その山頂にある神社に梵天を奉納する祭りが子供時分の秋の一大イベントだった。梵天というのは場を清めたり神の依代となる祭具で、長い棒の先に幣束を何本か付けたものらしい。村祭りで使われる梵天は長く太い竹を2本繋いだ先に和紙やテープのヒラヒラをたくさん付けたもので、2,30人の男たちが両脇につけた紐を持ちながら掛け声と共に先端を大きく上下させながら通りを練り歩いた。地域ごとにヒラヒラや法被の色が違っていて、今は知らず、当時男たちは化粧をし多分始めから酒を飲んでいた。梵天は最終的に山頂の神社に奉納するのだが、その前に麓の通りに並んだ出店の間を何度も往復する。早く山に登った方が楽だけれど、どれだけ麓で粘れるかが甲斐性みたいなところもあった。
 祭りに来た人たちは、まず山頂の神社にお参りする。時間にして3,40分の道のりだけど、それなりの山登りだ。最後に直登の厳しい坂となだらかな回り道の選択があった。山頂は見晴らしが良くて、里芋の田楽が美味しそうな匂いを漂わせているけれど、そこで限られた小遣いを使うわけにはいかない。何しろ目的の本番は山を下りてから、道の両側に続く出店にあったからだ。中には小学校の行き帰りに立寄る駄菓子屋の出店もあって、予約しておいたプラモデルを受け取ったりした。残りのお金を何に注ぎ込むか考えながら、梵天と同じように通りを何度も行ったり来たりするのが楽しかった。家から結構遠かったけど、祭りには子供たちだけで行っていて、一人で行っても必ず誰か友達に会えた。梵天が狭い通りをバサバサ通ったけれど、屋台の食べ物の衛生状態を云々言う人はいなかった。
 中学生になるとだんだん祭りには行かなくなって、高3の秋、祭りどころじゃなかった私は、午後になってふと来年はもうここにいないかもしれないんだなと気付いた。辿り着いた祭りの会場に秋の夕暮れは早く、まばらな人の流れはみんな帰り足で、それにゆっくり逆行しながら、梵天の切れ端が落ちた通りの様子を感傷的な気分で目に焼き付けた。その日が、私がその祭りを訪れた最後だった。
 のだが、一番下の子が山に登れるようになった頃、一度家族で祭りを見に行ったことがある。自分よりずっと年上の近所のおじさんがちょっとキツそうにまだ参加していて、梵天の数は少し減ったかもしれないけど、祭りは盛況だった。その時息子が金魚すくいでもらった金魚は小さな水槽で思いのほか長生きして、大きくなったら頭部がランチュウみたいになった。村は町になってその後市と合併したけれど、今でも祭りは地元の子供たちをワクワクさせているだろうか?

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